ひろのの栞

家族のようなこの町で働く

北三陸で獲れる上質な海の幸を国内外へ発信する「北三陸ファクトリー」。この会社の取締役を務める眞下美紀子さんはここ、洋野町の生まれです。国際基準に対応した新工場の稼働を目前に、勢いづく会社でその手腕を振るう眞下さん。都会で働いていた眞下さんがこの町に戻って来たのは、たまたま目にした雑誌上でのある運命的な出会いがきっかけでした。

 

北三陸ファクトリーは良質な海の味覚を加工・販売している他、稚うにから身入りの良い天然うにを育てあげる “うに牧場” 、雇用創出や教育事業などの取り組みにおいても地域の水産業の活性化へ一役買っています。

高校卒業まで洋野町で暮らしていた眞下さん。一度は地元を離れたものの再び洋野に根を下ろし、現在水産業に携わっているその背景には、漁師だった父の影響があります。

 

産業への意識の芽生え

眞下さんのお父さんは、地元のいか釣り漁船の船長でした。高校生の時に海難事故が起こり、お父さんは精神的ダメージを受けます。それにより働けなくなってしまったお父さんと、下火で活気のなかった水産業。高校3年生という人生選択を迫られる重大な時期に、そんなお父さんの姿とこの業界を重ねて見た眞下さん。このことは、自身が地元産業と向き合う大きなきっかけとなりました。

『産業は人との繋がりで成り立っている』

水揚げ量はもちろんのこと、産業の本質は「人」であることを痛感した眞下さん。「他力本願ではなく、きちんと自立できるように」と、一度町を出て外の世界を知り、必要なスキルを身につけることに決め、東京の大学へと進学しました。

 

地元で活躍するリーダーとの出会い

大学卒業後は都内に本社を構える企業へ就職。全国各地を回りました。

その後東京本社にて人材育成の業務に当たっていた時に起こったのが、2011年3月11日の東日本大震災。被災によりなかなかインフラが整わない故郷と、何も出来ない自分。地元に残った友人に、「眞下は華やかな都会暮らしで良いよね~」と何気なく言われてしまったことも頭に残っていました。

そんな晴れない心境のままでいた眞下さんですが、2014年の暮れ、洋野町への帰省のタイミングでたまたま読んでいた雑誌に、「日本を打ち破る100人」という見出しの下、海産物卸業である「ひろの屋」の現社長である下苧坪之典さんに関する記事を見つけます。記事には “種市” とも “洋野” とも書かれていませんでしたが、その珍しい苗字に眞下さんは「これは自分の地元だ」と確信。自分がリーダーとなって地元の産業を活発にしていかなくてはという思いが強まっていたところでこの記事と出会い、故郷の小さな町で既にリーダーシップを発揮している人がいることに衝撃を受けたそうです。すぐに自身の手帳の「今年会いに行く人」のリストの中に下苧坪さんの名前を書き込み、その後電話で会社へ問い合わせ、達成。その衝動が転機となり、下苧坪さんの下で働くことになりました。この出会いが今の眞下さんの活動の原点となります。

地元へは戻ってきて良かったですか。

眞下さん:「良かったですね。うん、良かったです。何が良かったかというと色んな視点はあるんですけど、自分自身のことで考えると、前の会社よりキャリアを積めている感覚もあるし、実際に楽しい。都会で働いているとどうしても部署のことや会社のことだけしか考えることがなくて。地域や産業のために働いている実感がなかったことがフラストレーションになっていました。
洋野に戻ってきてどうかというと、中小企業だということもあるけれど、リーダー(社長)のやろうとしていることがダイレクトに感じられて、同時に、良い意味で自分自身もリーダーで在らなければならない。そしてそのリーダーシップが、会社の組織の結果に直に関わってくると思うし、北三陸ファクトリーの事業自体が町や地域のことを真剣に考えてやっていると思っているので、後継者問題や観光業への関連付けも含め、漁業共同組合(以下、漁協)さんや町とどう関係性を作っていくか、ということも考えています」

「やっていることが産業や地域づくりにダイレクトに関わってくるのがめちゃめちゃおもしろい!」と語る眞下さん。ひろの屋の子会社として運営をスタートした北三陸ファクトリーの取締役となった現在は、新領域担当としてAR(Augmented Reality = 拡張現実)やVR(Virtual Reality = 仮想現実)の分野まで構想を伸ばしています。

 

水産業×教育×テクノロジー

今後の展望を伺ったところ、間髪を入れずに答えが返ってきました。

眞下さん : 「今後の展望はですね、水産業×教育×テクノロジーの切り口でいかに地域の価値を作っていくか。それもただ面白おかしく新しい事業をしようと思っているのではなくて、北三陸ファクトリーの本体の事業と一緒で、『いかに漁師さんに還元できるか、製造者さんに還元するか』というところ。今は生産者の可視化や畜産業などで実施されている個体識別番号等、 “食” 全体が『安心安全を担保しましょう』という方向に進んでいるのに、水産業は全くそれが出来ていない」

そんな水産業の現状を憂う一方で、将来の具体的な構想も話してくれました。

眞下さん:「それが出来るようになるには何をすれば良いかと考えていて、例えばうに牧場で採ってきたウニ、1個1個は難しいかもしれないけれど、何kgかのカゴ単位で漁師さんや漁協さんがいつ誰がどこでどのくらい採れたかの情報をQRコードに入れ込んで、その上で小売店に売られる。そのQRコードを読み込めば漁獲証明みたいなものを得られて、それを以て加工・販売される。そしてスーパーやレストランは、これはちゃんとした商品なんだということをしっかり謳える。消費者は、製品の表ラベルのQRコードを読み込めば『こういうところで採られたんだ』『へ~、うに牧場ってあるのか』なんて、安心安全を担保しながら……」

眞下さんの構想はまだ続きます。

眞下さん:「それと、どういう仕組みでやるかはこれから考えるんですけど、QRコードを読み込んでいったら動画が上がっていて、『あ、これがうに牧場なんだ!』と消費者に見えるシステムを作りたい。 “安心安全+楽しさ” みたいなのが商品に価値として与えられると、消費者の皆さんも真っ当な価格で買ってくれると思うんですよね。高値で売れることが全てではないですけど。でもそれが出来ればお客さんも安心安全かつ商品の背景も知れる。そしてそれが価値となって漁師さんたちに還元される。そんな仕組みを作りたいなって思っています。ハードルは結構高いんですけどね。それが来年度の課題です」

 

切っても切れない、生まれ育った町

高校の総合探究の時間を使い、学生たちに地元の人たちと実際に対話が出来る機会を設けるなど、地元の学生たちとの交わりも大切にしている眞下さん。それは水産業を始めとする地元の産業、そしてそれに関わる大人たちの実際の話を聞くことで、地元への理解をより深める目的と、若者ならではの多様な切り口で地場産業に関わってくれたらという想い、そして何より、自身が身を置く水産業をよりオープンなものにしたいという狙いが込められています。

当然しんどいこともたくさんあるけれど、リーダーの一挙手一投足がダイレクトに結果に表れる、この小さな町での働き方。けれど、「そういうことが肌感覚で感じられるのがとても良い」と話す眞下さん。自分の行動や、築く関係性が良ければ結果も良くなる。それは絶対に自分の成長にも繋がっている。生まれ育ったこの町は、良い面も悪い面も含め、切っても切れない “家族” と同じ感覚なのだそうです。

眞下さん:「今の自分を形成している成分の多くは、確実にこの町が占めているので、現在行なっている活動は育ててもらった恩返しのような感覚ですね。世界にも目を向けるけれども、 “この町” という自分の足元の良さを、出来る限り発信したい」

眞下さんの見据える未来はきっと、地域が輝く明るいものであるはずです。

仕事に趣味にと、この小さな町で生き生きと働き暮らす眞下さん。自発的に行動できてしっかり結果が返ってくるこの町は、眞下さんにとって理想を形にするのには最適な地だったのかもしれません。

 

眞下 美紀子(まっか みきこ)
1982年生まれ。洋野町八木地区出身。
大学進学を機に上京。全国各地を回り、2016年株式会社ひろの屋入社。
現在は株式会社北三陸ファクトリー取締役を務める。
休日の楽しみはお気に入りのタイ料理屋でのブランチ。
趣味はお酒。好きなお酒はジンとラムとウイスキーと日本酒と……

北三陸ファクトリーHP:https://kitasanrikufactory.co.jp

 

(2021/02/19 取材 上野珠実)