ひろのの栞

好きな農業を、楽しみながら

洋野町大野地区でりんごや山ぶどう、山菜の栽培を行っている下川原重雄さん。大野という場所で農業をすることについてお話を伺いました。

幼い頃から好きだった農業を

大野地区出身の下川原さん。ご実家は大野のまちなかにある雑貨屋ですが、下川原さんのお父さんは畑作や養豚などの農業も兼業していました。下川原さんは久慈高校を卒業後、千葉県の養豚場に2年勤めた後、大野に戻って養豚を手伝うことに。

下川原さん:「小学生の頃から将来は農業をやるって決めていましたね。農業が好きだったんです。親は役場に入れたかったでしょうけど(笑)人の下で働くより、自分で動けるのがよかったんです」

下川原さんが大野に戻ってきてから20年ほど経った頃、今後のことを考えて養豚を辞めて畑作だけにすることに決めました。養豚である程度の収益があったため、新たに土地を購入してりんごや野菜の栽培を本格的に始めました。

現在、りんごは1.6ヘクタール、山ぶどうは2ヘクタールの土地で育てています。また、14棟のハウスではうるいやタラの芽などの山菜や、夏野菜の栽培も行っています。
収穫した果物や野菜はそのまま販売するだけでなく、りんごや山ぶどうを加工してジュースにしたり、パンやピザ、ケーキなどのお菓子やお惣菜の製造・販売も行っています。

また、20年ほど前に「下重農園」という会社を設立しました。

下川原さん:「うちには子どもがいないので、後継者のことも考えて会社にしました。経営をしていくなかで、加工は必ず入れると決めていましたね」

それ以前から作物の販売や加工は行っていましたが、会社設立をきっかけに加工場を増やして事業の幅を広げ、現在に至ります。

 

1年を通して大切に育てる

下川原さんが最も力を入れているのがりんごです。下川原さんのお父さんの代には、大野でりんごを育てている人はたくさんいましたが、現在は数えるほどしかいないそうです。

下川原さん:「りんごって直接売ることが多いでしょ。そうすると、お客さんに『美味しいからまた欲しい』って言われないと売れないんです。そういうふうに売る努力も必要なので、誰でもうまくできるわけではないんだと思います」

昭和30年頃にりんごが生産過剰になり、値段が暴落したことでほとんどの人が辞めてしまったそうです。当時は20キロで300円から400円だったことも。

また、洋野町のお土産としても知られる「洋野ワイン」に使用されている山ぶどうは、全て下川原さんの農園でつくられたものです。もともと大野で山ぶどうがつくられていたわけではなく、1980年ごろに下川原さんが個人的に始めたのがきっかけでした。

下川原さん:「私が始めるまでは、大野で山ぶどうをやっている人はいませんでしたね。趣味でやっている人はいたかもしれないけど……本格的に始めたのは1992年くらいです。仲間数人と『山ぶどうを育ててみよう』となって。すでに山ぶどうを栽培していた葛巻町に行って苗をもらってきました。当時、葛巻町でもワイン用の山ぶどうが足りていなくて、いっぱい作ってね、という時代でした」

大野で山ぶどうの栽培を開始して約10年経ったころに生産のピークを迎え、さらに10年後には生産過剰となり、りんごと同様に山ぶどうの生産を辞めてしまう人もいたそうです。最近ではワインがブームになっており、原料である山ぶどうが少し足りないことも。山ぶどうはほとんどがワインに使われています。さらに、下川原さんがつくった山ぶどうは、北海道、三重県、富山県などでつくられるワインの原料としても出荷されています。

年間を通してさまざまな農作物を育てている下川原さん。

下川原さん:「りんごと山ぶどうを中心に、作業がかぶらないように畑作のほうも行っています。年間通して仕事ができるよう、冬場の仕事として山菜を作っています」

りんごは5月から6月にかけて行う摘花と10月下旬から始める収穫、山ぶどうは10月の収穫が繁忙な時期になります。そのため、畑作はお盆までに収穫を終わらせるそうです。普段は5人でりんごの摘花や山ぶどうの間引き、つるの整理を行い、収穫は10人ほどで行っていますが、人手は足りていないと言います。

 

大野という土地で

農業をするうえで、その土地の気候は無視できないものです。大野は、年間の平均気温が10℃と冷涼な気候で、太平洋が近いため海洋の影響も受けやすい土地です。

下川原さん:「この地域は気象条件は厳しいけれど、美味しく作るのには向いていますね。特に去年はよかったです」

2021年は霜の影響でりんごの生産量が2割ほど減少。しかし、りんごも山ぶどうも10年に一度の特別な美味しさだったと言います。お盆過ぎてから気温が下がったため、糖度が溜まりやすかったのが要因だそうです。
岩手県内でも有数のりんごの産地である、花巻市や奥州市との大きなちがいはやはり気温。花が咲く春の時期の気温が見た目に影響します。この時期に大野は低温の日が多いため、どうしても見た目は劣ってしまいます。

山ぶどうもりんごと同様に、日照量よりも気温が重要で、気温が下がらないと糖度が上がりません。日照量は収穫量、気温は味に影響すると言います。

長く農業に携わるなかで、大変だったことはあるのでしょうか。

下川原さん:「なんだろう、好きでやっているからなあ……大変って聞かれても浮かばないんだよなあ。日々の仕事は大変だけど、辛くて大変ということはないですね。好きなことでやっているから」

また、県からの依頼で山ぶどうの新規農業従事者への指導も行っています。下川原さんが山ぶどうを始めて20年くらいは教わりたいという人が多かったものの、今はそれほどいないそうです。山ぶどう農家はそう多いわけではなく、指導ができる山ぶどう農家は県内でも1人か2人。多くの人は人から教わって実践しますが、下川原さんは自分で研究するのが好きだと言います。

下川原さん:「研究とかそういうのが好きですね。自分で開発したり作り方のマニュアルをつくったり。岩手県で使っている山ぶどう栽培のマニュアルも、最初のものはうちで作りました」

県内でも山ぶどうを育てている農家は少なく、かつ技術を外に出すことはしていませんでした。下川原さんのように、指導して技術や情報を公開するとみんなが同じやり方で作り、一時的に生産過剰になり値段が下がることもあります。しかし、それもやり方次第。

下川原さん:「今は少し反省してるよ。もう少し真面目に自分でやればよかったかなって。いろいろな人に教え過ぎたかもしれません(笑)でも、1人でやるよりはみんなでガヤガヤやるほうが楽しい。1人で黙々とやっても楽しくないからね」

お金を稼ぐことよりも楽しくやることが大切だと下川原さんは言います。

下川原さん:「楽しくやることですね。仕事が忙しくて楽しくないときもあったけど、基本的には楽しくやることですね。ものを作るときも、自分が食べて美味しいと思うものを作るようにしています」

県の指導者も任されている下川原さんですが、農業は独学で身につけました。勉強会などに参加したことはあっても、まとまって勉強をしたことはないそうです。

下川原さん:「基本的には自然に学ぶことですね。山ぶどうなんかも、自然になっているのを見て、今の技術を開発してきました。自然のものを見たり、他の地域のものを見たり……いいものができるのは同じパターンだから。それを見極めるっていうか」

これからも、今のまま続けることが目標だと語る下川原さん。しかし、日々新しいことにも取り組んでおり、去年からダリアを育て、切花として販売しています。

下川原さん:「忙しいなかでも休みを取って、いろいろな場所を見に行っています。これがいいなと思うものがあったら取り入れたり。若いころは遠いところまで視察に行ったりしました。行った先でやっていることを必ず何か1つやってみようとは考えていて。やってみてだめだったらやめて、よければ続けて」

現在は大規模に行っている山菜も他の地域を見たことがきっかけだったそう。山形県でわらび、岩手県西和賀町でぜんまいを見て、洋野町でもやってみることに。

下川原さん:「うまくいくのは10回に1回もないくらいです。他からみるとうまくいっているかもしれませんが、実際は失敗のほうが多くて。人の何十倍も失敗していると思います」

また、作業が少ない冬の間は本を読むようにしており、一冬で100冊ほど読むことも。

下川原さん:「本を読むのが好きなので、何かをはじめるときは必ず資料を探して読みますね。下準備して勉強してから始めます」

 

幼い頃から農業をすると決め、大変なことも楽しさだと感じている下川原さん。穏やかでやさしい語りのなかに農業への熱い想いを感じました。常に実践することを心がけ、いろんなことに挑戦し続ける……その根源にあるのは、農業を好きだという気持ちや楽しむことでしょう。

 

 

下川原 重雄(しもがわら しげお)
1953年洋野町大野地区出身。
(株)下重農園の代表。
趣味は読書で、時代小説とサスペンス小説をよく読む。
以前は東北の産直を巡る旅もしていた。

 

(2022/05/24 取材 千葉桃子 写真 大原圭太郎)