住みよい農村を自分たちで作る

久慈平岳と階上岳の山あいに位置する洋野町大沢地区に、日帰り入浴や食事、宿泊、そば打ち体験などを楽しめる「洋野町ふるさと交流館 アグリパークおおさわ」があります。そして、施設の管理・運営を、地区の全戸が加入している大沢農村振興会が受託しています。この振興会は昭和58年に設立され、農業の合理化などを行ってきました。今回は、設立当初からこれらの活動に取り組んできた久保田正治さんと下大澤武志さんに、当時の状況や地域づくりに向ける思いについてお話を伺いました。
地域の農業を地域で守る
昭和後期の大沢地区では、仕事を求めて近隣の自治体や関東圏へ出稼ぎにいく人が多く、住民の流出が課題になっていました。そんな中、まずは地区の基幹産業である農業の合理化を図り地区のなりわいを守ろうとしたのが大沢農村振興会です。
久保田さん:「当時の農業の有り様といいますと、田植えや刈り取りを機械で行うようになってきた状況でした。その時は農業に携わっている人が40人くらいいたわけです。機械で田植えをするときの苗は、苗箱に種を蒔いて密植した状態で育てるんですよね。これにはなかなか高度な技術が必要で、失敗する人が結構多かったんです。苗がなければ困るわけで、みんな苦労していたんです」
下大澤さん:「あとは、年に1日か2日使ったら終わりの農業機械を、それぞれの農家が持っていた。どんな小さいものでも1台100万円以上はするし、合理的ではなかったね」
そういったことを改善するために行われた取り組みが、共同育苗と農業機械銀行でした。
久保田さん:「例えば、それぞれが持つ苗を育てるための施設を、1か所に集めればどうなるの、ということから始まったわけです。1か所に集めれば、40人の農家一人ひとりが2ヶ月間苗を育てる必要がなくなるわけですし、農協の技術を持った人や、農業改良普及センターの人が関わりやすくなる。そうすると、確実に苗が育つので、他の人たちは安心して畑作業や水田作業ができる、という状況になりました」
下大澤さん:「各々機械を持つのは非合理だったから、農業機械銀行っていうのを作って、1台の機械でみんなの作業を引き受けるようにしたのよ。そして、農村振興会が機械とオペレーターを持つようにした。合わせて、機械がどんな田んぼにも入っていけるように、区画整理も行った。昔はさ、田んぼの周りのあぜの部分しか歩けなかったから、機械が入っていける道路がなかった。基盤整備が最初の大事業だったね」
農村全体を楽しんでもらえるように
水田ほ場整備は、平成元年に完工しました。これまでの大沢農村振興会の取り組みにより、農家一人ひとりの負担は軽減されましたが、それでもまだ地区全体が農業だけで成り立っていくには難しい状況でした。そこで、次に注力されたのが観光でした。
下大澤さん:「周りの自治体には国民宿舎とかがあったんだけど、当時の種市町にはそういう公的な施設がなかったんだよね。だから、町長は海の町として何かを作ろうと考えた。ところが、土地の確保に苦労した。ましてや、『地域で運営してください』という内容だったから、それに同意するところもなかった。我々は当時からアグリ農園とか色々やっていたから、コンサルタントが視察に来て、『大沢も良いな』と認めたわけです」
久保田さん:「役場の方でも、大沢農村振興会の長年の地域づくり活動や、農業関係の合理化であるとかを認めていただいた、ということだろうと思います。自分たちとしては、経営の不安とか、あんまり気にしないで始めました。『面白そうだな、やってみよう』ということで」
そうして、アグリパークおおさわは3年の工事期間を経て平成10年に完成しました。年間およそ12万人が訪れ、地元の人に利用されるだけでなく、都市圏から宿泊に来る方もいらっしゃいます。
久保田さん:「アグリパークの『アグリ』とは、『アグリカルチャー』つまり農業のことを指します。農村地域全体を楽しんでもらいたいから、アグリパークと名付けました。そういう考え方で、春や秋の感謝まつりや登山会、サマーフェスティバルといったイベントを展開して、ここの地域を丸ごと楽しめるようにしています」
下大澤さん:「ただ、当時、NHKの朝ドラで『あぐり』という番組があった。だからその当時の関根町長は、ドラマから取ったと思われないかと心配していましたね(笑)」
みんなで地域を支えていく
アグリパークおおさわには、育苗のためのビニールハウスで作物を育てる「アグリ農園」が併設されており、地域の方が40名ほど働いています。どのようなきっかけでこの農園を始められたのでしょうか。
久保田さん:「稲の苗を作るためのビニールハウスですけれども、1年のうち2ヶ月間だけ使ってあとの10ヶ月は放置しているのは勿体無いなと思って、農業を始めました。始めた当時はやませが厳しくて夏でも寒かったので、寒さを好むほうれん草を育てていました」
現在は気温が高くなったので、暑さに強いきゅうりやトマトが育てられています。育てる作物を選ぶにあたって、久保田さんは人手のかかる作物を選ぶようにしたそうです。
久保田さん:「1番人手のかかる作物は何かって調べたら、きゅうりだったんです。これを採用しようと。なぜかというと、地域の人々を雇用して、賑やかに働いてもらいたいからです。雇用している人の中には、大光テイ子さんが代表をされているエンパワメント輝きさんからの紹介で働いてもらっている方が6、7名います。元気に活躍してもらっていますが、なぜ長続きしているかというと、接する相手が作物だからだと思います。自然と向き合って対話をしながら働くことが、心を癒しているのではないかなというふうに感じています」
また、大沢農村振興会は、子供から大人まで幅広い年代の方々が交流できるように、少年消防クラブの活動や花壇づくり、道路の空き缶やゴミ拾いなどの活動も行っています。
下大澤さん:「そういうものは、あって当然のものではないんだよね。みんなが協力したり、支え合ったりして成り立つものだから。それは忘れたくないね」
大沢地区では、久保田さん、下大澤さん、そして大沢農村振興会の方々の活動により、土地の風景と産物に合わせた地域づくりが行われてきました。共同育苗や農業機械銀行など、地区の状況に合わせて続けられてきた取り組みの中では、大沢地区の人と人とのつながりが何よりも大事にされ、今では、アグリパークおおさわを起点として地区内外の人々の交流が生まれています。