活気ある地域で楽しい酪農を
岩手県洋野町大野地区は、県内でも有数の酪農地帯です。“酪農地帯”と聞くと、広い草地で牛が放牧されている様子を思い浮かべるかもしれませんが、大野では一頭一頭しっかりと見られるように牛舎で牛を育てています。 今回は、家業である酪農を継ぎ、若手酪農家として活躍する清水利月さんにお話を伺いました。酪農だけではなく、地域を盛り上げたいという清水さん。そこにはどのような想いがあるのでしょうか。
人との関わりで見つけた道
大野出身の清水さん。地元の高校を卒業後、県内の農業大学校に通い、卒業後は北海道で1年間実習をしたのち、大野に戻ってきました。
清水さん:「高校生の頃はパティシエになりたかったんです。製菓の専門学校に行こうかと考えていて。でもそんなに強い意志があったわけではなくて。それなら農学校に行ったらと親に勧められて、興味はなかったけど行くことにしました」
家の手伝いはほとんどしたことがなく、するようにも言われなかったそうです。牛に触れるようになったのは大学校に入ってからでした。
清水さん:「大学校の同級生は、農業高校出身とか小さい頃から酪農を手伝ってきた人も多くて、自分は何もできませんでした。2年生の最初くらいまでは目的なく学校に通っていました(笑)」
そんな清水さんが変わったきっかけは、酪農家の交流の場であり、牛の改良の成果や優秀性を競う大会である共進会でした。
清水さん:「勝ち負けつくのが面白いなあと思って。酪農ってただきついとか大変なイメージだったけど、いろんな人が集まって、牛を見てワイワイして、お祭りみたいな。そういう機会があるのが楽しいと感じました」
自分のお父さんも共進会に参加していると知り、それならもっと本気で牛について勉強したいなと思った清水さん。もともと、すぐに家に戻る気はなく、県内の牧場で酪農ヘルパー(酪農家が休みをとる際に搾乳や飼料給与などの作業を行う人)として働いてから戻ろうと考えていました。しかし、清水さんのお父さんも県内では有名な酪農家だったため、それを知っている人からは「酪農ヘルパーは誰でもできるから、お前はもっと本気で勉強したほうがいい」と言われたそうです。
周りからの勧めもあり、大学校卒業後は就職する同級生が多い中、経験を積むために、北海道の牧場に1年間実習に行くことになりました。
実習先の牧場は、5年に1度開催される全日本ホルスタイン共進会で賞を獲ったこともある場所で、想像以上に厳しく指導され、理不尽だと思うようなこともあったと語ります。
清水さん:「初日の朝から怒鳴られたりして(笑)帰りたくなりました。『お前はいずれ経営者になるから厳しくする』と言われて。あの時の経験が相当いきてるなと思って、今になって感謝しています。自分でやるようになって、言っていた意味がわかるようになってきました」
技術や経営についてはもちろん、忍耐力も身についたと振り返りました。
酪農家として働く
酪農家の生活は人それぞれですが、清水さんは朝5時に起きて8時まで牛の世話、10時からは畑の作業、昼休憩をして13時からまた作業をし、毎日19時頃まで仕事をしています。畑作業がない冬場は余裕がありますが、4月から10月は忙しいといいます。
清水さん:「4月から牧草を作り始めるんです。牧草は5月、7月、9月の3回収穫するのでその時期も忙しいし、秋になると飼料に使うデントコーンの収穫もあるのでさらに忙しくなります。昔は田んぼもやっていましたが、牛が増えたので牧草の畑にしました」
現在、清水牧場では母牛90頭、育成中の牛70頭、和牛10頭の合計180頭の牛を育てています。これは大野地区でも、県内でも多い頭数です。
清水さん:「この地域は一軒一軒の農家が大きいんです。頭数よりも出荷した乳量が重要で。全国農業協同組合連合会が県内で頭数のランキングをつけたりするんですが、300軒近くあるなかでうちは10位から20位の間には入っています。100頭規模の酪農家は県内でも数少ないですね」
仕事をしているなかで嬉しいことは、搾乳量を増やせたとき、共進会で賞を獲れたとき、自分の理想の牛に近いものがつくれたとき。
清水さん:「自分のことはもちろん、加工会社のおおのミルク工房がいろいろ頑張っているのも嬉しいです。協力し合っていけたらいいなと思います」
洋野町を含む久慈地域で唯一の加工場であるおおのミルク工房の販路も、県内外で広がっています。おおのミルク工房の方からは「大野には若い熱心な生産者がいてありがたい」と言われたことも。
休みが少なくて大変なことはあっても、つらいことはあまりないといいます。
清水さん:「やっていること全部が牛乳の品質につながるので、トラクターに乗っているときでも仕事の意味を考えるようになってきました」
清水さんは大学校や実習で農業について学んできましたが、一緒に働いているお父さんとお母さんは経験をもとにしています。考え方は異なりますが、対立せずそれぞれのやりかたで行い、やりたいことは自分で時間を作ってやるようにしているそうです。
清水牧場は、清水さんの曽祖父が始め、祖父が牛舎を作りました。しかし、清水さんが5歳の時に火事があり牛舎や牛がかなり焼けてしまい、辞める寸前まで追い込まれたそうです。そんなとき、横浜で大工をしていたお父さんが仕事を辞めて牧場の経営を担うことに。
清水さん:「うちの親父は人付き合いが上手だったので、酪農を学んできた周りの人たちに聞いて、アドバイスをもらいながらやってきたんです」
お父さんが数年かけて経営を黒字に戻し、地元の人たちに追いつくことができました。
大野地区は、他の地域の酪農家からは「環境もいいし人もいいから基礎ができている」と言われることも多いそうです。最近では頑張ってる2代目や3代目がいて、経営が安定している中で若手も活躍できるようになっています。清水さんも「やりたいことあれば手伝うからなんでもやれ」と言ってくれる大人が身近にいることが心強いと語ります。
一方で、酪農は危険と隣り合わせでもあります。牛に蹴られたりぶつかったりして怪我をしたり、作業用の機械も気をつけないと大きな事故につながります。危険だとわかっていても効率を重視してしまうこともあると、苦い顔をしながら話してくれました。
また、最近は飼料の値段が高騰しても牛乳の値段は変わらないため、厳しい状況が続いています。そのなかでどう経営するか、どうしたら酪農家が減らないかを考えています。
つながりのつくりかた
地元の同世代の酪農家をはじめ、さまざまなつながりを持つ清水さん。しかし、もともと地域とのつながりがあったわけではなく、戻ってきてからできたそうです。
清水さん:「地元に戻ってくるまではあんまり地域とのつながりはありませんでした。人前に立つタイプでもなかったし。帰ってきてからは飲み会の幹事などをやるようになって、人付き合いが増えてきました」
地元に年が近い人が多く、その中で清水さんが1番年上だったのでいろいろ仕切るようになりました。
清水さん:「人と関わることでいろいろな情報が入ってくるし、視野が狭くならなくていいなと思います。体育館でやっているバスケに行ったり、今年はお祭りにも参加しました」
酪農家は農作業だけでなく経営もしているため、年上の人と経営やお金に関する話をする機会も多いんだとか。農家以外にも、地域には経営者がいるため、いろいろな人とそのような話ができるのがいいところだと清水さんはいいます。
清水さん:「先のことを考えて経営しろという話はよくされますが、例えば10年後とか20年後に自分と同世代の酪農家が頑張っていても、地域に人がいなかったら酪農をやっていても楽しくないだろうし。どんなかたちでも若い人とかが地元に戻ってきて、自分たちが中心になったときに、酪農だけでなく地域全体をまとめて盛り上げることができたらなと思っていて、そのために今から何をしていこうかは考えています」
洋野町には少しずつですが若い世代の移住者も増えており、そのような人が増えてきているのは嬉しく感じているそうです。
最後に、清水さんの今後の展望を伺いました。
清水さん:「地域に残って働きたいと思える職業だということをもっとアピールしていけたらいいなと思います。酪農家として自分ができることはしていきたいです。酪農はそもそも知ってもらう機会が少ないので、そういう場が増えたらうれしいです」
最近では高校生や若者向けのオンラインセミナーなどにも出演し、地域に若い酪農家もいるということを知ってもらったり、酪農だけでなく農業が楽しいということを伝えているそうです。
すでに地域にさまざまなつながりを持っている清水さんですが、これからも年齢層関係なくいろいろな人とつながりたい、自分から外に出ていくことが大切だと語りました。
家業である酪農を楽しみ、日々追求しながら働く清水さん。仕事だけでなく、大野に人が残り、活気のある地域であり続けるために自分にできることに挑戦する……そんな前向きな姿が周りの人たちも明るくしていけるのではないでしょうか。
清水 利月(しみず りつき)
1998年洋野町大野の帯島地区出身。
大野高校を卒業後、金ヶ崎町の農業大学校に通い、北海道で1年実習をして大野に戻る。
趣味はアイスを食べること、飲み会、アニメを観ること、筋トレ。
(2022/10/25 取材 千葉桃子 大原圭太郎)