ふるさとの思い出の神社に
洋野町大野地区の村社である鳴雷(なるいかずち)神社。300年ほど前に創建されたといわれるこの場所は、「雷神様」という呼び名で、現在まで大野の人々を中心に親しまれ続けてきました。今回は、宮司の坂本さんが見てきた信仰のうつろいや神社の未来に寄せる思いについてお話を伺いました。
時代とともに移りゆく願い
鳴雷神社で祀っているのは、その名の通り「雷神様」。誰しも「雷神様」自体に聞き馴染みはありますが、よく考えてみると、雷自体は自然現象であり災いをもたらしそうな存在でもあります。「雷神様」は、どのようにこの地の信仰対象となっていったのでしょうか。
坂本さん:「雷が鳴ったり稲光が見えたりすると、すごい力を感じます。雷自体が自然そのものというか、自然界を司っているような。そういう衝撃を受けますよね。飢饉が多く、死人が絶えなかった時代があった地域なので、五穀豊穣などの願いを込めて、一番自分達にガーンとくる力のある自然現象の神を祀ったのかなって、そんな気がしています」
雷が落ちて私たちが光や音を感じる時、雷自体の勢いや力と同時に、自然の脅威や、時には崇高さのような印象を感じることもあります。
坂本さん:「昔の人は今のように機械や通信機器がなかった時代を生きていたので、自然現象そのものが自分たちの生活のリズムだったと思うんですよね。だからこそ、自然に対する畏敬の念が生まれたんだろうという気がします」
「雷神様」信仰は、自分たちがなんとか生きていけるようにと、自然に対して頼るように祈りを捧げたことから始まったのでしょう。祈りを捧げる場所として、鳴雷神社が建てられた頃の記録は残っているのでしょうか。
坂本さん:「棟札(むなふだ)といって、神社が建った時に建物が火災になったりしないように、そして、地域の安全や氏子さんの家内安全を願う旨を記したお札があるんですけれども。そういうものが何枚か残っています。一番古い棟札で宝暦8年、1758年のものが残っているので、その時にはすでにあったのだろうと思います」
仮に創建年が1758年だとすると、創建から300年弱が経つ鳴雷神社。その間、人々の暮らしぶりは少しずつ変わっていきました。
坂本さん:「時代によってですね、祈ることも変わってきたと思うんですよ。当時はやっぱり五穀豊穣。平安な時代になってくれば家族の安寧、戦争になると武運長久とかですね」
みんながワクワクしていた例大祭
この神社が人々に親しまれてきた理由には、信仰ともうひとつ。大野に根付く最大ともいえる年中行事「鳴雷神社例大祭」があります。8月のお盆に続いて執り行われ、たくさんの人々で賑わいます。
坂本さん:「ここのお祭りはですね、16日が前夜祭で17、19って神輿を出すんです。しかも、昔は出稼ぎが多かった土地だけに、この期間にはお父さんが帰ってきて、『お父さんが帰ってきた!』って子供達も一緒に夜店に行って、お小遣いもらって買い物したりとか。お盆からお祭りの期間っていうのは、普段は出稼ぎに出てるお父さんも帰ってきていて、みんながワクワクしていたと思うんですよね。中日の18日はここでお神楽やったり、花火が上がったり、相撲をやったり。小学校の校庭では盆踊りがあって、櫓(やぐら)を組んで廻って踊ります。最後まで踊って一位だった人には賞品をあげたりですね。そういうのを昔からやっていたんですよ」
「守っていく価値がある」と思われるものを残していきたい
信仰とお祭り、町のみんなに愛され親しまれる神社を営む家系に生まれた坂本さん。高校卒業後、山形にある出羽三山神社で修行をし神職の資格を取得してからは、盛岡八幡宮に20年程勤め、大野に戻ってきました。
坂本さん:「親からは『継ぎなさい』とあまり強くは言われなかったし、他のこともやってみたいなっていう気持ちがあってですね。ただ、何をやりたいかっていうと、情けないことにやりたいことが見つからない。じゃあ、とりあえず神社に行って、資格を取って、そこで考えようというような感じでした」
強い意志をもって修行に出たわけではありませんでしたが、修行を積むうちに神職に対する坂本さんの考えに変化があらわれます。
坂本さん:「自分たちの先祖が、千年、二千年前からどういう風に生きてきたかっていうこととか、そういう色んなこと考えるようになって。この神職という仕事は大事な仕事、必要な仕事なんだなって言うのを感じるようになったんだよね」
坂本さんが、親族から命じられてではなく自身の意志でこの道を選んだように、自分のご子息に対しても、継承を強いるような考えはないと言います。
坂本さん:「息子はいるんですけど。彼がやるかやらないかって言うのは彼が選べば良いかなと思っています。むしろ私が亡くなった時とか、うちの息子が『継がない』と言った時、その時に地域の人たちが『いや、こうしよう、ああしよう』って考えて神社のことにもう一回思いを寄せてもらうきっかけになっても良いかなと思ったりもします。だから、私ができることは、次の世代に『これだったら継ぎたいな』とか『守っていく価値あるよな』って思ってもらえるようにすること、それが私の務めだと思っているんですよ。『これはやっぱり守っていく価値あるね、形を変えてでも』っていう風なものを残していきたいです」
思い出を作ってもらいたい
小中学校のほど近くに佇む鳴雷神社。坂本さんは、児童生徒たちが、卒業後に様々な道に進んで行く様子も見守ってきました。ご自身がこの神社や大野に寄せる思いとも重ねながら、こう話してくれました。
坂本さん:「大野から巣立って、お嫁さんに行ったり、仕事に就いたりってなると、どんどん地域から離れていくので、ここにいる間は、思い出をいっぱい作ってもらいたいなと思います。やっぱりふるさとの思い出というか、小さい時の楽しかったことが心の中にあると強く生きられるような気がするんです。子供達にはヤンチャやってもらっていいから大人になった時に思い出してもらいたい。そういう場所じゃないかなと思いますね、ふるさととか、特に神社とかって」
坂本さんは、今ではヤンチャをする子どもたちも減ったと笑いながら、かつてヤンチャをしていた子どもたちが大人になり神社に来てくれることが嬉しいとも話してくれました。
坂本さん:「昔の先輩とかがたまに神社に来て、『あ、懐かしいな、この木さ登ったったな』とかですね、イタズラしたことを喋っていく。拝む時の鈴の緒(すずのお)ってあるじゃないですか、あれでターザンごっこやったったとかね、そんな話(笑)」
200年以上も前から人々が祈りを捧げたきた拝殿で、自分もまた手を合わせて祈るとき、この場所の歴史と人々の足跡に触れた気がします。
多くの人々の願いが託され、それを受け止めてきた雷神様は、これからも大野の人々の信仰と楽しみの中心であり続けるのではないでしょうか。
参考
(1)「鳴雷神社例大祭」,洋野ヒストリア, https://jmapps.ne.jp/historia_hirono/det.html?data_id=6260
坂本 守弘(さかもと もりひろ)
昭和36年 洋野町大野地区生まれ。
趣味は釣りと雅楽など。雅楽を始めたきっかけは、盛岡八幡宮に勤めていたころに笙(しょう)という楽器と出会い、伊勢神宮などの研修会に参加し演奏の仕方を学んだ。今は祭典で演奏したり、仲間と定期的に練習会を開いたりしている。
鳴雷神社
〒028-8802
岩手県九戸郡洋野町大野9-40
TEL 0194-77-3528
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(2023/06/27 取材 小向光 写真 大原圭太郎 文 藤森大将)