ひろのの栞

誰もが自分らしく輝く

ひとり一人が持っている自信や能力を引き出すための働きかけを「エンパワメント」といいます。洋野町にある特定非営利活動法人エンパワメント輝きでは、ひきこもり者やその家族への支援、高齢者への介護予防など、地域福祉のまちづくりを行っています。一人ひとりに寄り添いながらエンパワメントを発揮し、関わる人を輝かせることを目標に活動しています。代表の大光テイ子さんはどのような想いで活動しているのでしょうか。

当事者も家族も「まるごと支援」する

エンパワメント輝きの代表である大光さんは、元々は保健師として町の地域包括支援センターで働いていました。また、ケアマネージャーとしても活動していました。

大光さん:「今はそんなことないんですが、私が学生だった頃は乳児死亡率が高くて。死ぬ確率が高いのでたくさん生むのではなくて、生まれた子どもたちを大切に育てたいなと思って保健師になりたかったんです」

大光さんは洋野町のお隣の軽米町の出身です。当時は道路や交通機関が少なく、気軽に行き来ができなかったため、知らないことも多い場所でしたが、保健師として働ける洋野町(当時は種市町)に就職しました。転勤がある保健所ではなく、一つの場所に腰を据えたいという思いがあったそうです。

退職したあとも保健師として健康相談や介護予防に携わっていた大光さん。ひきこもり支援を始めたのは今から10年ほど前でした。

大光さん:「介護が必要な家庭があって、何回か声をかけても断られていて。自宅に訪問してお話を聞いていたら『実はひきこもりの息子がいるから他人を家に入れるのは……』と言っていて。『じゃあ、みんなまとめて面倒を見るなら利用してくれる?』と聞いたら『それならいいよ』ということだったので、ひきこもりも支援すると約束してきたんです」

ひきこもりにはいろいろな原因があるため、関わるのが難しいとされています。地域包括支援センターでも、認知症予防や介護の知識がある職員はいましたが、ひきこもりに関する知識を持っている職員はいませんでした。そんななか、大光さんは精神医療についても知識があり、カウンセリングも習っていたこともあったため、ひきこもりの支援に取り組むことになりました。

当初は、町のひきこもりの実態がわからなかったため、民生委員を通して調査を行い、確認のために訪問を行いました。

大光さん:「訪問型のひきこもり支援をはじめました。普通は来るのを待ちますよね。相談日に誰か来ないかな、ではなく、私が出かける」

大光さんがひきこもり支援を始めてから少しして、内閣府がひきこもり支援に本腰を入れるようになり、現在では県も支援を行っています。町で支援を始めたときと同様、ひきこもりは実態が掴みにくいため、大光さんのように支援を行っているのは県内でも珍しいと言われています。

それまで実態把握や支援を行っていなかったため、ひきこもり当事者、その家族の高齢化が課題になっています。

大光さん:「ご家族が高齢になる前にある程度の道筋を見つける必要がありますね。8050問題といって、親が80代、子どもが50代、というギリギリの状態になってしまうんです。早めに実態がつかめれば、適正なサービスを提案できます」

最近では、10〜20代の若い世代のひきこもりも増えているそうです。ひきこもっている期間は人それぞれですが、長くなるほど慢性化してしまったり、体力が落ちてしまう危険があります。

大光さん:「他人が関わると空気が変わるので変化が起きます。ただ、ひきこもっている期間が長い人だと難しいので、早めに支援に入れればいいなと思います」

まず病院に行き、薬を貰いながら少しずつ外に出られるようにしています。大光さんも診察にも同行し、先生の話を噛み砕きながら伝えたり、使える制度の確認を行います。

外に出られるようになると、家の手伝いをしたり作業所で働く人も出てくるそうです。

大光さん:「普段は高齢者がいる家庭を訪問するんですけど、もしかしてひきこもりの方がいるのかな?と思ったときは『ご家族何人ですか?みなさんお元気ですか?』と聞くと、『実は…』という感じで話してくれるんです」

訪問対象者も増えていますが、まだ把握できていないひきこもりもいるのではないかと大光さんは感じています。

 

一人ひとりに寄り添いながら

地域包括支援センターでひきこもり支援の活動を行っていた大光さんでしたが、2018年にNPO法人エンパワメント輝きを立ち上げました。

大光さん:「NPOという手段でひきこもり支援ができると教えてもらって。それならやってみようかと思いました」

ひきこもり支援の他にも、認知症者の支援、高齢者等に対する介護予防やサロン活動も町から受託することになりました。行政と連携を取りつつ、NPOになったことで臨機応変に活動できるようになりました。

最初の1年間は地域包括支援センター内で活動していましたが、元消防署だった建物を改修し、現在の場所に移転しました。利用者が集まれるスペースがあり、人通りも多い場所なので大光さんもとても気に入っています。

現在エンパワメント輝きには10人のスタッフが働いています。各種支援やサロン活動、町内の各地区で介護予防などを行っています。介護予防の1つである「いきいき百歳体操」は、町内40地区以上の地区センターや公民館等で週1〜2回開催されています。

大光さん:「参加するとポイントが付くようになっていて、みんな楽しんでやっているんですよ。介護保険を使わずに生活している高齢者の方もたくさんいます」

スタッフが不在でも、DVDを見ながら自主的に開催しており、参加者同士の交流の場にもなっています。さらに、高齢者向け終活や認知症予防をテーマにした出前講座も行っています。

大光さん:「私が就職したとき高齢化率は7%でしたが、今は42%になったんです。母子健康センターが今ではデイサービスの施設になったり……人口規模が小さいほど、高齢化の影響は大きいですね。でも、高齢者が元気でいて、自分のことは自分でできればいいのではないかと思います」

提供:NPO法人エンパワメント輝き

6月からスタートした「ふらっとひろの」では、ひきこもり当事者や生きづらさを感じている人に、自宅以外で安心できる居場所を開設しました。

大光さん:「それまで家にひきこもっていた人が少しずつ社会に慣れる場所として。就労ではないんですけど……他の人と交わる機会がないとなんというか、傷つきやすくなるんです。ささいな一言で『自分はだめだ』とか思ってしまったり。悪いことを言われるわけではなくても、口調が強いとか。当事者はちょっとしたことに対して繊細になっているんです」

ふらっとひろのを始めたきっかけは、ひきこもり当事者の家族から「いきなり社会に出るのはハードルが高い」という悩みを聞いたことだったそうです。

大光さん:「ちょっとした言葉で傷ついても、『その言葉にはこういう意味もあるから、あなたはそれをどういう風に受け取ったの?』と聞くと、怒られたとか否定されたと言うんですけど、それは激励かもしれないし、いろいろな意味があるということを言うことで、広げて、社会の中で生きやすいように」

また、エンパワメント輝きでは、ひきこもり当事者だけでなくその家族に対する支援も行っています。悩み相談だけではなく、講演会や外に出かける機会も用意し、リラックスできる時間になっています。

大光さん:「ひきこもりの子どもがいる親は、どうしてもそのことばかり考えていて……もっと自分の人生を楽しんでもいいんじゃないかなと思って。完全に解決することは難しくても、私たちができることをしていきます」

ひきこもりの当事者はもちろん、家族などの周りの人もどうしても焦る気持ちが出てきてしまいますが、大光さんは一人ひとりのペースに合わせて、焦らずに向き合います。

大光さん:「一歩目を踏み出すことが難しいと感じています。大きな一歩でなくても、小さな一歩でもいいから、ちょっとずつでも何かできるように。一歩目として、自分は生きていていいんだと思うことからはじめられれば」

就労先に関しては、福祉系をはじめ、この地域だと食肉加工や養鶏関係の仕事もあります。また、大沢地区にあるアグリパークおおさわでは農福連携を行っており農業に携わる人もいるそうです。どの仕事でも、自分のペースで無理せず働けるように大光さんたちもサポートをしています。しかし、冬の雇用が少なく、働きたくても働けない人がいるという課題もあります。

 

地域の頼れる存在として

大光さんはこの仕事をしているなかで、関わった人が元気になったり、いい方向に変化していく姿を見られるのが嬉しい一方で、ひきこもり支援の後継者がいないことに危機感を感じています。

大光さん:「私も気力と体力があるうちは続けたいと思っていますが、専門的にひきこもりに関われる人がいたらいいと考えています」

今までの経験をもとにマニュアルを作成し、他の人に伝えることにも取り組んでいます。地方でも知識や専門性がある人が活躍できるようにしたいと大光さんは考えてます。

 

一人ひとりが抱える問題や生きづらさに寄り添う。高齢になっても地域で生きがいをもって生活が送れるように手助けをする。小さな地域では、人とのつながりや助け合いが必要不可欠です。大光さんのように頼れる存在がいることで、誰もが自分らしく輝ける地域になっていくでしょう。

 

 

大光 テイ子(だいこう ていこ)
1952年岩手県軽米町生まれ。県立衛生学院を卒業後、旧種市町に保健師として就職。
趣味は家庭菜園と旅行。

 

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(2023/6/21 取材 千葉桃子 写真 大原圭太郎)