ひろのの栞

自然がつなげる仕事と暮らし

東京との二拠点生活から洋野町に定住したイラストレーターの古屋さん。大野の風景に惚れ込み、季節の移り変わりを感じながら暮らしています。自分らしい仕事と自分らしい生活。それを実現した古屋さんのもとを訪れました。

 

古屋暁さんは現在奥様と二人で自然豊かな大野地区に暮らしています。元々は山梨県の甲府盆地の出身で、山に囲まれて育ちました。幼い頃から絵を描くことが好きだった古屋さんは「巨人の星」「あしたのジョー」などの漫画に影響され、よく真似をして絵を描いていたそうです。

高校卒業後、日本の美術家である横尾忠則さんに憧れ、グラフィックデザイナーを志します。東京のデザイン専門学校に入学し、卒業後は東京で出版社に就職しましたが、コンピューターのない時代に任された ”割付け” という作業に苦戦し、半年で退職。その後、退社した出版社からも仕事を受けながら、先輩と事務所をつくりコンビでデザインとイラストの仕事をしていました。

1980年、26歳の時「週刊漫画ゴラク」の表紙の仕事が決まります。生活に必要な安定した収入を得ることができるようになったことで、先輩とのコンビを解消し独り立ち。様々な仕事をこなしながら、現在もイラストレーターとして活躍しています。

そんな古屋さんが洋野町に移住するまでのストーリーと、洋野町に暮らす魅力を伺っていきます。

古屋さんが表紙を手がけた「週刊漫画ゴラク」

 

移住を決めたきっかけ

古屋さんはイラストレーター、奥様は編集やデザインの仕事と、元々東京で仕事をしていたお二人。東京の夏の暑さに耐えかね、夏の間だけ自然豊かな場所へ避暑地として移住することを考えていたといいます。景色が良いところを探している中、奥様がおとなりの久慈市出身ということもあり、よく遊びにきていた洋野町の大野地区。その風景にご夫婦二人とも惚れ込んでいたこともあり、ここで暮らしたいと考え始めました。

ところが、当時は「空き家バンク(市町村が、空き家の売却や貸出を希望する人と移住希望者をつなげるシステム)」等がなく、生活する場所をどう探したら良いか分からなかったそうです。途方に暮れていた時、既に東京から大野に移住していた塩野さんご夫妻に出会います。当時塩野さんは大野地区にDIYで家を建てて暮らしていました。

古屋さん:「塩野さんには『まずはゼンリンの地図を買って、気に入った空き家や土地があったら、持ち主を調べて直接交渉すると良いよ』と教えてもらいました。いくつか候補をあげて交渉しましたが、見ず知らずの土地に入り込むのはやっぱり難しくて。『先祖代々の土地なので渡せない』と言われたりもしました」

今住んでいる土地は、地主さんとの交渉に塩野さんが入ってくれたこともあって購入することができました。自宅からは360度ひらけた草原の、起伏ある大地や広々とした風景が見え、それがとても感性に合うといいます。

そうして2003年頃、古屋さんご夫妻は洋野町と東京との二拠点生活を始めます。

古屋さん:「元々は人物画が主な仕事でしたが、洋野町に来てからは風景画を描くことが多くなりました。景色が綺麗だから自然と描きたくなるんです」

古屋さんが描いた美しい洋野町の風景は宝くじのイラストやカレンダー、岩手の地ビール「ベアレンビール」のパッケージなどにも採用されました。2006年にはベアレンビールの醸造所で個展も開いたそうです。

古屋さん:「東京や大野からも遥々見に来ていただき、個展は大いに盛り上がりました。べアレンの嶌田さん(現専務取締役)も、東京出身だからかこの絵の風景にとても感動してくれて。家にも何度も遊びに来てくれました」

当初は避暑地として、夏だけのつもりで洋野町に住み始めた古屋さん。インターネットが普及してメールや電話での打ち合わせが徐々に増え、直接会う必要がなくなってきたことと合わせ、東京以外でも仕事を受けられるようになり、東京に帰る必要がないと感じるようになりました。そこで思い切って東京にあった事務所を手放し、洋野町に完全移住することにしました。

古屋さん:「洋野町にいても、仕事上の支障は全くないと感じています。ただ、メールでの打ち合わせだと顔を合わせないためか、修正依頼が容赦なく来る気がします(笑)」

かなり思い切った選択だったと思いますが、当時地方へ移住することに反対される方はいなかったのでしょうか。

古屋さん:「いなかったですね。逆に同業者は喜んだかもしれないです。『ライバルがいなくなった』って」

移住してからも順調に仕事を続け、さらには風景画など仕事の幅を広げていった古屋さんに、その時のライバルたちもきっと驚いていることでしょう。

 

洋野町の魅力と、今後望むこと

家から見える景色がとにかく気に入っていると話す古屋さんご夫妻。春の山菜や6月頃に咲くバラなど、季節の移り変わりも楽しみにしています。また、洋野町の特産品であるウニやホヤなどの海の幸や、短角牛も大好物だといいます。

奥様:「洋野町の食べ物が美味しいのは、水が良いからかと思います。透き通っていて、清らかな味がする気がしますね」

元々、ゴミが落ちている道路など、汚いものはなるべく見たくないという思いを持っていたお二人。美しい自然に日々心が洗われる、この大野地区が大好きだそうです。

 “自然の中で暮らす” というと、何もなくて不便な印象がありますが、そのあたりはどうなのでしょうか。

古屋さん:「買い物には車で行けるし、困ることはあまりないですね。私は車やバイクが好きでツーリングクラブにも所属しています。この辺りもよく走っていました。妻は映画鑑賞が趣味で、おとなりの八戸市にある映画館によく行っています」

お二人とも充実したプライベートを送っているようです。最後に、古屋さんに先輩移住者としての思いを伺いました。

古屋さん:「洋野町は本当に良いところなので、もっとその良さを発信して多くの人に来て欲しい思いもありますが、たくさん人が来すぎて荒らされてしまうのも困るなぁとも思っています。匙加減が難しいですね。IT系の仕事など、インターネットがあればできる仕事の人を誘致するとか……今後、町の将来像を描けるリーダーが出てきてくれると良いなと思います」

洋野町大野の自然を愛し、自分らしい仕事と生活をしている古屋さんご夫妻。新型コロナウイルスの影響でコンサートの宣伝美術の仕事などはいくつか無くなったそうですが、密になりにくく感染リスクも低い地方での暮らしは、心配もなく快適だとも話していました。

パソコンさえあればどこでも仕事ができることを強みに、地方で暮らし続ける。古屋さんのその姿は、今リモートワークで首都圏にいなくても仕事ができる人、本当は自然の中で暮らしたいと考えている人の理想をまさに叶えていると感じました。

古屋さんのように洋野町の自然と調和して暮らしていける移住者が、今後増えていけばいいなと思います。

 

古屋 暁(ふるや さとる)
1954年生まれ。山梨県山梨市出身。
高校卒業後、東京のデザイン専門学校に入学し、卒業後は東京で出版社に就職するが半年で退職。
その後、先輩と「デザインハウス無有」設立。
1980年『週刊漫画ゴラク』の表紙の仕事が決まり独立。
2003年頃から洋野町と東京の二拠点生活を開始。その後完全移住。
洋野町ふるさと大使も務める。
現在はフリーのイラストレーターとして活躍中。

HP:http://www.catnet.ne.jp/s-furuya/

 

(2021/03/01 取材 藤織ジュン)