ひろのの栞

地域のみんながゆるやかに繋がれる場所を

埼玉からJターンで洋野町に移住した松田さん。地域おこし協力隊を経て、現在は古民家を改装した「喫茶とスペース ヒロノバ」を運営しています。この町で暮らす中で感じた思いを胸に、手探りで進んできた日々。それはどのようなものだったのでしょうか。

 

地方移住を考えたきっかけ

2017年に洋野町に移住した松田直美さん。出身はおとなりの久慈市ですが、大学進学を機に地元を離れ、結婚後は10年以上埼玉で生活をしていました。2011年に発生した東日本大震災の際、実家の両親と連絡が取れない状態が続いたそうです。

松田さん:「情報を得ようとTVを見ると、大変な映像ばかりが流れて……とても怖かった。幸いにも震災の時は両親とも無事でしたが、その数年後に今度は台風が久慈市を直撃し、実家は水浸しになりました。近くに住んでいればもっとできることがあったのでは、というもどかしさもあって、地元に帰りたい思いが強くなったんです」

そんな思いから久慈市周辺で仕事を探していたところ、洋野町が地域おこし協力隊(以下、協力隊)を募集しているのを見つけたといいます。3人の子を持つ母でもある松田さん。久慈に帰省した際、海浜公園や大野キャンパスに子ども達を連れて遊びに行くことも多く、洋野町には馴染みがありました。

松田さん:「協力隊の募集を見つけた時、面白そうな仕事だなと。正直『これしかない!』って思いました。当時すでに大原さんが協力隊として活動していて、1人目ではなかったことも安心感がありました。小学校、中学校、高校が無理なく通える距離にあり、子どもたちにとっても良い環境だなと」

2017年4月、協力隊第二号として洋野町に移住。任期中は移住定住推進担当として、移住体験をする人の案内をしたり、移住者向けのウェブサイトを作って情報を発信したり、交流会を開催するなど、移住定住の支援を軸に精力的に活動をしていました。

 

生活する中で見えてきた課題

現在「喫茶とスペース ヒロノバ」を運営する松田さん。  サイフォン式コーヒーや地元おおのミルク工房の牛乳を使ったお菓子(マフィン、スコーン、プリンなど)を提供し、テイクアウトにも対応しています。また、イベント用にスペースの貸出も行っています。
ヒロノバを開業した理由。そこには、町で生活しながら協力隊として活動する中で感じた課題を、何とかしたいという思いがありました。

松田さん:「当時、移住を考えている方に体験用の住宅を案内していたのですが、せっかく来てもらったのに役場以外に頼れる場所がないのではと感じていました。困ったことがあった時に気軽に頼れたり、もっと地域の人と交われるところがあればいいなと。その時はカフェというより、観光案内所やなんでも相談所のような立ち位置で考えていました」

また、自身の経験から、学校に行きづらい子がちょっと顔を出せるところや、お母さんが少し愚痴をこぼせるところもあるといいなと思っていたそう。いわゆる “相談所” に日程を決めて行くという堅苦しい形ではなく、気軽に「ちょっと聞いてよ〜」と話ができるような、そんな場所をイメージしていたといいます。

松田さん:「家に帰る前にモヤモヤを落ち着かせたり、話すことで少し元気になれるところがあるといいなって思ったんです。地域のみんながゆるやかに繋がれて、気軽に、気が向いた時に、各々のタイミングで来れるような場所が」

当初は喫茶店を開くつもりはなく、人が集まれる場所が欲しいという漠然とした思いだけでしたが、最終的に「お店として開かれた形の方が人が入りやすいのでは」と考え始めます。

 

古民家「ヒロノバ」との出会い

松田さんが喫茶を営むヒロノバは築80年程度の木造平家の古民家。長いこと空き家になっていましたが、その出会いは、まさに巡り合ったというような運命的なものでした。

松田さん:「その頃、『人が集まれる場所をつくりたい』という思いをよく母に話していました。母は種市にも知り合いが多く『娘がこんなことを言っててね』という話をしていたんだと思います。そしたら友人の一人が『古いけど、うちを使う?』と言ってくれて。とりあえず見るだけ見てみようということで確認に行ったら、柱が良い感じの色で!一目で気に入りました」

空き家とはいえ荷物で溢れているわけでもなく、状態も比較的良かったといいます。掃除をしたらきれいになりそうだと感じ、人が集まっているイメージも自然と湧いて来ました。それでも、茶色く暗い印象の壁や、古くなっていた畳は手を加える必要がありました。

空き家だった頃のヒロノバ(松田さん提供)

借りることは決まったものの、暫くは何から手をつけていいか分からない状況が続きました。そんな時、役場から勧められ、岩手県立大学が行なっている「地域協働研究」に応募したことで、学生たちとの壁塗りや畳の表替えが行われることになりました。

松田さん:「『地域が抱える課題を大学生と一緒に解決しましょう』というもので、早速学生が20人程手伝いに来てくれることになって。慌てて何かをやろう、というかやらなくちゃという話に。(笑)そこから色々なことが進み始めた感じでした。畳を運ぶのは思ったより重労働で、若い力はとても助かりました」

当初はなるべくお金をかけずにやりたいと思っていたそうですが、白く綺麗になった壁を見てもっと手を加えたくなり、DIYで床も一部フローリングに貼り替えることに。手を入れることで目に見えてよくなるのが楽しかったといいます。

松田さん:「ここまで来ると、自分でお店をやってみようかと。流れに乗った感じはあります(笑)」

ヒロノバの名前が生まれたのもこの頃でした。それまでは「あの空き家」と呼んでいた松田さん。ひろのにある場所でヒロノバとつけました。それがみんなに浸透し、後々お店の名前に。

 

ヒロノバで始めてのイベント開催

そんな折、「冬灯りのヒロノバ」イベントを開こうという話が立ち上がります。イベントがない冬に町を盛り上げようという思いから、毎年協力隊で企画していたもので、過去2年は大野で「冬灯りの広場」という灯りを灯すイベントを行なっていました。それを今回はヒロノバで行おうという話になったのです。

松田さん:「床貼りが間に合わないかも、という焦りがすごくありました。周りの人は『手伝うよ』といってくれたんですが、道具がなくて結果一人で作業することに……。時間に追われながら半分泣きそうになって作業をしていました。今思えばあの時が一番辛かったですね(笑)」

焦りと戦いながら地道に作業をする中、座布団カバーや窓の補修など、できることに手を貸してくれた周囲の協力がとても心に染みたそうです。

そして迎えた当日。「冬灯りのヒロノバ」イベントは大盛況、そして大成功に終わりました。

「冬灯りのヒロノバ」イベントの様子(松田さん提供)

松田さん:「協力隊の仲間が、歌の上手い友人や演奏が出来る人を呼んでくれたり、イベントの告知をしたり、中心になって動いてくれました。当日は来てくれたみんなで灯りを灯し、歌や演奏を一緒に聴き、大野のゆめ牛乳でミルクティーを振る舞いました。子供も含め、町の人が入れ替わり立ち替わりで計50人くらいは来てくれたと思います。協力隊の仲間なくして成功はなかったと、本当に感謝しています」

多くの人で賑わうヒロノバを見て、感動で涙が出てきたという松田さん。 “人が集まれる場所をつくりたい” という、ずっと抱えていた思いが、初めて実を結んだ瞬間だったのかもしれません。

 

今後のヒロノバ

松田さんは今、NPOの団体で働きながらヒロノバを運営しています。活動の幅が広がることで地域とのつながりも増え、心にも余裕が生まれるといいます。今後について伺うと、マイペースにこぢんまりとやっていきたいと語ってくれました。

松田さん:「細く長く、地域と溶け込むような場所にしていきたいです。ありがたいことにお客さんは徐々に増えてきていて、テイクアウトのお菓子を職場分まとめて買っていってくれる方もいます。  店内も落ち着くみたいで、特に年配の方は皆さん懐かしがってくれます。『あ〜黒電話だ!』てね」

今後は料理をやりたいという人が現れれば、許可を取ってもらった上で、喫茶がオープンしていない曜日に場所を提供することも検討しているそうです。営業をしながら少しずつメニューを増やしたり、必要なことをその都度考えたり。試行錯誤の日々の中、手探りながらも一歩一歩進んできた松田さん。子育ても一段落を迎え、これからが楽しみだと微笑むその姿がとても眩しく感じられました。

話に花を咲かせたい時、一人になりたいけど誰かと繋がっていたい時、少しだけ落ち込んで元気がほしい時、そっと寄り添うようにある場所。飾らない素朴なあたたかさを持つ松田さんだからこそ、生まれる空気感がそこにはありました。
気になった方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

松田 直美(まつだ なおみ)
1976年生まれ。岩手県久慈市出身。
大学進学を機に地元を離れ、結婚後転勤で埼玉へ。10年以上を関東で過ごす。
2017年4月洋野町地域おこし協力隊着任。
3年の任期を終え、2021年1月「喫茶とスペース ヒロノバ」開業。
営業は火水木、土の午前11時(土は午後2時)〜午後6時。
臨時休業等あり。詳しくはHPやインスタグラム参照。
好物はきのこの駅の「あわびたけの天ぷら」

HP:https://space-hironoba.com
Instagram:https://www.instagram.com/space_hironoba/

 

(2021/02/17 取材 後藤暢子)