ひろのの栞

馬と共に歳月を重ねる

洋野町の旧種市町と旧大野村にまたがる久慈平岳。標高は706m、登山口から頂上までは5kmほどの誰もが楽しめる山です。地域の人々からは「ダケ(岳)」と呼ばれ、古くから親しまれてきました。実はこの山は南部藩の馬の歴史と深く関わってきており、今でも山開きの日には参拝馬登坂行列が行われています。今回は、久慈平岳と馬との関わりがどのようなものだったのかに焦点を当てていきます。

今回紹介するのは、久慈平岳の大沢コース。大沢地区は、旧種市町と旧大野村の境の部分に位置する農村集落です。まずは、大沢地区にある「アグリパークおおさわ」から岳の見える方角に歩き始めます。両手にのどかな農村風景が広がる道をしばらく歩くと登山口に到着し、「久慈平岳登山道入口 山頂2415m」と記された案内板に出会います。ここからは、徐々に山道に入って行きます。久慈”平”という名称や登山口までののどかな風景の広がりからも、なだらかな山を想像してしまいますが、随所に急な上りがあるため心の準備が必要です。登山口から頂上までは、時間にして90分ほどで登ることができます。頂上では眼下を360度ぐるっと見下ろしながら、その景色の広がりを楽しんでください。

登山と合わせて皆さんに知っていただきたいのは、久慈平岳と馬との関わりです。炊事場や遊具などのある山頂広場から200mほど下ると久慈平神社に到着します。現在この神社に奉祀されているのは豊受姫命(とようけひめのみこと)と呼ばれる農業の神様ですが、古くから「お蒼前(そうぜん)さま」と地元の人々に慕われる馬の神様を祀っていました。また、古き時代の久慈平岳では軍用馬が育てられ、軍用馬が使われなくなってからも農耕馬が放牧されていたといいます。

岳と人、そして馬

この近辺一帯が、糠部郡(ぬかのぶぐん:現在の青森県東部から岩手県北部の旧二戸郡、九戸郡のあたり)と総称されていた時代から、すでに旧大野村を含む一帯が馬産地であったと言います(1)。糠部郡一帯が馬産地であり、人と馬のつながりが強かったことは、現在まで残る馬にゆかりのある祭り(チャグチャグ馬コ、駒踊り)や馬を祀る神社や信仰が残ることからも感じ取ることができます。

馬産が本格的に始まるのは、甲州の武将であり馬産のベテランでもあった南部三郎光行が、糠部郡に赴任して以降のこと。また時を同じくして、久慈平岳に馬頭観音が祀られたことから、この地での蒼前(馬の守護神)信仰が始まったとされています。その後、風水害や霜害により不作であったため、五穀豊穣と武運長久を願い宝暦4年(1754年)の旧暦5月19日に社殿が再建され、この時より旧暦5月19日に例祭が執行されるようになりました(2)。この日は「岳の日」として近隣地域の人々に親しまれ、戦前までは乗馬で登山参拝する慣わしがあり大変賑わったそうです(3)

いわゆる南部馬は、当初は軍用馬が中心でそのほとんどが中央の方に献上されていました。大野図書館に務め町史の編纂(へんさん)を手がけている木村氏によると、馬や鷹などを朝廷に献上することで糠部郡の地位を保っていたと言います。その後、軍馬の生産は第二次世界大戦の頃まで続きましたが、戦いの少ない江戸時代に入るとその需要はすでに落ち着き労働力としての農耕馬にも使われるようになりました。岳の麓に住んでいる人は、昼間は農業の労働力に馬を使い、夜になる前に岳の上まで馬を連れて行って放牧し、また朝になると連れてくる……というのを耕運機などが主流になる昭和30年頃までは続けていたそう。今では馬を飼う家庭はほとんどなくなってしまいましたが、私たちの身の回りには馬との繋がりを感じることのできる行事や風習が確かに根付き、この土地や人と馬とのつながりの深さを感じることができます。

写真提供:洋野町企画課広聴広報係

時が経っても人々に慕われる岳と馬

現在は、毎年6月の第一日曜日に「久慈平岳山開き」が開催され、町内外から多くの人々が久慈平岳に集います。山頂広場には地元特産物などの屋台が出店し、規模こそ大きくないものの地元の人々に愛されていることが伝わってくる賑わいと雰囲気があります。山開きの目玉行事である「参拝馬登坂行列」では、今でも馬の姿が見ることができます。久慈平神社にて登山の安全祈願と山開き式を執り行ったあと、地元の人らに引き連れられた馬が山頂までの200mを行列になって登るものです。

岳で祭りが行われていた歴史は数百年前に遡り、現存する最古の資料である『八戸藩勘定所日記(文化元年,1804年)』には、このように記されています。

「一、明神堂の縁日は五月十九日だが、その時は諸方より参拝に人々が集まり、そのためいろいろな商人も集まり、茶屋も数件出るので一通りでない群衆になる…」

『八戸藩勘定所日記(文化元年)』表紙部分, 八戸市立図書館所蔵

「五月十三日」『八戸藩勘定所日記(文化元年)』より, 八戸市立図書館所蔵

徳川時代になると馬産は繁栄を極め、とりわけ文化文政時代には旧大野村の旧文化が最も成熟した時代でもあり、この資料からも当時から岳の日がとても賑わっていたことが分かります。

戦前、馬がより身近だった時代の岳の日には、愛馬の安全祈願や五穀豊穣、豊作祈願などを馬と共に祈ることが醍醐味であったそうですが、その文化は、農業用機械の導入とともに戦後に廃れてしまいました。現在の山開きは昭和63年に再開されたもので、登山の安全を祈願するものではありますが、参拝馬登坂行列や山頂広場の賑わいを目にした私たちはかつての様子に思いを巡らせ、その平和な風景のありがたみを教えられているようでした。

関わり方は時代とともに変われども、この地で人と馬はともに歴史を歩み、この岳は、古くから共に歳月を重ねた大切な場所。遠い昔から脈々と続いてきた馬との歴史に想いを馳せながら岳に登ってみませんか。

 

久慈平岳
●コース

・大沢コース
アグリパークおおさわに駐車し、登山口まで徒歩移動。登山口から山頂までは約5km、90分ほどで登頂。
・大野(向田)コース
向田農村センター(洋野町上舘第56地割22-5)に駐車し山の方へ歩く。200mほど進むとY字路があるので、右方向に進み水路に沿って歩く。「久慈平岳登山口」の看板が立っている小さな橋を渡る。その後は、頂上まで道なりに進む。駐車場から山頂までは約6kmで、2時間ほどで登頂。
向田コースは山頂広場まで車で行くこともでき、山頂広場から頂上までは約300mで時間にして10分ほど。山頂広場までの道には水捌けのための段差が多くありますので、徐行運転をお願いします。
・大和コース
大和の丘森林公園内の駐車場に停車し、山道に入る。ちびっ子広場を経由し、頂上まで30分ほどで到着。

●施設利用
山頂広場には、炊事場やキャンプ場、営火場、避難小屋などの設備があり、5-11月の期間中利用可能です(2021年7月現在)。
水道施設はありますが、必ず煮沸してお使いください。
ご利用の際には、事前に洋野町役場大野庁舎地域振興課(0194-77-4015)までお問い合わせの上、使用申し込みを行ってください。

●登山の際の注意事項
クマが出ることがあるので、クマよけの鈴などを携帯してください。
大和コースを中心にへびが出ることがありますので、ご注意ください。
どのコースでも、アブなどの虫が多くいますので、虫除け対策をしてください。
低山ではありますが、天気が変わりやすく麓との温度差も大きい場所なので、雨や防寒対策、軽食の携帯などの最低限の登山の装備を整えた上で登山を楽しみましょう。

取材協力
洋野町立大野図書館 木村智暁氏
洋野町地域振興課 佐々木貴光氏

(2021/06/06現地取材、2021/05/12, 07/06 インタビュー 小向光)

参考資料
(1)おおの駒踊り保存会『おおの駒踊り』2019
(2)洋野ヒストリア『久慈平神社』(http://www.historia-hirono.jp/hirono_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=8972498&data_id=8005) 最終閲覧日2021年7月6日
(3)大野村教育委員会「馬を神として崇仰する信仰:おそう前さま」『大野の風土記 復刻版』p59, 2003.7
二戸市、東北新幹線二戸駅利用促進協議会『トリコロール』2010.3(久慈市立図書館所蔵)
九戸歴史民俗の会「馬の神祀り信仰集める」『北三陸の歴史探訪』, pp286-287, 北三陸の歴史探訪編集委員会編,  2016.9
大野村誌編纂委員会「久慈平岳神社」「久慈平岳」『大野村誌第一巻民俗編 ムラの生活、ムラの時間。』, pp409-410, 429-430, 2005.3
大野村誌編纂委員会「文化元年」『大野村誌第二巻資料編1 歴史の残映から史料で知るムラの姿』, pp261, 2005.3