ひろのの栞

豊かな時間が流れるこの場所で

洋野町は海と高原が広がる自然豊かな町です。夏には緑が生い茂り、海や川では釣りを楽しむことができます。今回は、大野地区出身で「釣り大好きおじさん」としても知られている奥寺遼太さんにお話を伺いました。奥寺さんは進学をきっかけに一度は大野を離れましたが、6年前にUターンし、近隣の地域でスクールカウンセラーとして働きながら洋野町で暮らしています。どのような想いで地元に戻ってきたのでしょうか。

どこにいても心の中にあった地元

大野地区出身の奥寺さん。幼い頃から自然に囲まれて育ち、友だちと釣りや缶蹴りをして遊ぶのが好きだったそうです。中学生から吹奏楽を始め、高校は吹奏楽が有名な北上市の高校に進学しました。高校で地元を離れたあとも、お盆やお正月には同級生から「いつ帰ってくる?」と連絡があり、奥寺さんが大野に帰ってくるとみんなで集まる機会を作ってくれたと嬉しそうに話してくれました。

奥寺さん:「集まる機会を作ってくれたのは今となってはありがたいです。地元を離れていても、地元の友だちとの繋がりをずっと持たせてもらっていたのが帰ってきたいと思った理由の1つでしたね。仲の良い人がいなかったら帰ってきても……という気持ちになっていたと思います」

高校卒業後は教員を目指して県内の大学に進学し、大学卒業後は小学校の非常勤講師として働くことに。しかし、教育実習や非常勤講師を経験しても教員という職にしっくりこなかったそうです。そんなときに発達障害の子どもと出会います。当時は発達障害への理解も進んでいなかったので、その子と関わるなかで「どう接したらいいんだろう」と奥寺さんだけでなく仲間の先生も悩んで困っていました。子どものサポートをするうえで教師のサポートも必要だと感じ、どちらにも対応できるのはスクールカウンセラーだと考え、大学院へ進学することを決めました。

奥寺さん:「翌年には東京の大学院に進学して学校心理学を学びました。週に1回、学校に行けない子どもたちを集めて一緒に勉強をしたり遊んだりして居場所づくりをする活動や、教育委員会に上がってきた不登校の子どもの状況に対して心理学的な視点からの分析もしていました」

大学院卒業後は都内の小学校と中学校でカウンセラーとして働き始めます。東京都では若手のカウンセラーも多く研修にも力を入れており、そのときにできた仲間とは今でも交流があるそうです。

奥寺さん:「コロナ禍以前は東京の仲間たちが毎年夏に大野に遊びに来てくれて、一緒に釣りをしたりバーベキューをしたりしました。自然豊かなゆったりとした場所なので『保養所』と言われているんです」

現在は直接会うことは難しいので、オンラインで悩みを相談したり近況を報告していると教えてくれました。

大好きなこの場所で

東京でカウンセラーとして働いていましたが、もともと30歳くらいで地元に戻って働きたいと考えていました。そんな奥寺さんがUターンしたきっかけをお聞きしました。

奥寺さん:「大野に戻って働くきっかけになったのは、小学1年生と2年生のときの担任の先生でした。私が小学生のときその先生は新任だったんです。昔は若い先生のバックアップを地域の保護者がすることが多くて。先生が家に遊びに来ていたり、休みの日は一緒にスキーに行ったり……いろいろな思い出があります。大学を卒業して1年間非常勤講師をしていた学校でその先生と偶然再会したんです。それまで連絡を取り合っていたわけでもなかったのでとても驚きました。カウンセラーになると決めたときもその先生に相談しました」

奥寺さんが東京に行ってからも連絡を取り合い、先生が研修などで東京に来るときには会っていたそうです。岩手に戻ろうと仕事を探していたときも、当初は県の内陸地域を巡回するスクールカウンセラーにエントリーしようとしましたが、その先生に現在の職場(県北・沿岸地域を巡回するカウンセラー)を紹介してもらいます。地元である大野の近隣でカウンセラーの仕事ができるということで、エントリーすることに。

奥寺さん:「カウンセラーになろうと思ったのも、岩手の先生や子どもをサポートしたかったのがきっかけなので、東京は修行期間のようなものと捉えていました」

このとき結婚はしていたそうですが、岩手に戻ることを妻の優子さんも快く受け入れてくれたそうです。優子さんは東京青梅市出身です。青梅市は岩手県に似た渓谷のある土地だったのですぐに馴染めたと言います。

優子さん:「大野に引っ越すことに抵抗はなかったです。何回か遊びに来たことがあったけど、大野の人はみんないい人だったので大丈夫だろうと思っていました」

2015年にUターンし、2019年の夏には同級生と共に担い手が足りず休止していた太神楽を復活させました。太神楽とは神事の一種で、この地域では鳴雷神社例大祭で毎年披露されていました。元々は奥寺さんの近所の方が太神楽を主催しており、その人と話していたときに「ずっと太神楽をやっていない」「できることなら復活させたい」と言われたそうです。衣装や神楽は残っていたため、奥寺さんが地元で働いている同級生に声をかけました。

写真提供:洋野町企画課広聴広報係

奥寺さん:「地元で働いている同級生も多くて。太神楽はお通りの先頭だったし厄除けの意味もあるので、自分たちが見て育ってきたものがなくなるのは寂しい、それなら復活させようとなりました」

奥寺さんは吹奏楽部の経験を活かし横笛を担当。当日は多くの地元の人でにぎわい、涙を流して喜んでくれた人もいたそうです。コロナ禍でイベントが中止されている関係で2020年と2021年は行うことができませんでしたが、来年こそはまた太神楽をやりたい、と奥寺さんは言います。

また昨年、実家の近くに家を新築したそうで、取材時にも中を案内していただきました。

奥寺さん:「知り合いの建築士に相談しながら設計して、地元の工務店さんに建ててもらいました。通りかかった隣町の人に『家を見せて欲しい』と言われたので見せたことがあって。とても感心していて、その人が大野に家を建てて引っ越してきたこともありました」

設計や内装を計画するにあたって、材料や設備をたくさん調べたそうです。そばには川も流れ、あたたかみのある素敵なお家でした。

自然と共に暮らす

現在は久慈市の学校を中心に働いていますが、赴任してきた当初は洋野町、久慈市、野田村の学校で活動して地域について調べたそうです。岩手県のカウンセラーは、震災をきっかけに他の地域から支援に来た人が多いようで、県内出身の人は少なく首都圏をはじめ、沖縄から来た人もいるそうです。震災から10年経ち、少しずつ地元の人も増えていますが、カウンセラーは基本的に非常勤なので保証の面が不安で、地元に戻ってきてもカウンセラーの仕事を続けられない人もいます。また、相談内容も地域によって異なると奥寺さんは教えてくれました。

奥寺さん:「岩手県の子どもからは貧困、虐待、愛着に関する相談が多いですね。地震や台風などの災害も少なくないので、親も生活を立て直すのに精一杯になってしまい、子どもも我慢しがちになってしまうんです。災害後は県外からカウンセラーが入ることもあります」

一方で、地元に戻ってきて地方のほうが暮らしやすいと感じているそうです。

 奥寺さん:「子育てをしているとそう思う機会が増えました。都会の方が選択肢は多いけど、田舎だと泣き放題だし、バーベキューも気軽にできるし……大野に戻ってきてから精神的に安定しました。東京で働いていた頃は、朝から晩まで相談ばっかりで辞めたいと思ったこともあるし、精神すり減らしながら仕事していた気がします」

地元の仲のいい友人や豊かな自然の他にも、奥寺さんに癒しを与えているものがあるそうです。

奥寺さん:「子どものころから釣りが大好きだったんです。夏は友だちと一緒に釣りに行ったり、川に潜って手掴みで魚を取ったりしていました。東京に行ってからは釣りをする余裕はなかったですが、今思うと釣りをしてセルフケアをできたらよかったのかもしれません」

地元に戻ってきた当初は釣りをするつもりはありませんでしたが、あることがきっかけになりました。

奥寺さん:「今の職場の上司に『奥寺さん釣りとかしないの?』と聞かれたので、好きですと答えたらその人が釣竿をくれて。『どっちが大きい魚を釣れるか勝負しよう』と言われたんですよ(笑)そこからまた釣りを始めました。釣竿をもらってすぐに、46センチのイワナを釣り上げました。今でもその記録は塗り替えられていないです。Uターンした年は本当に釣りが楽しくて楽しくて……仕事終わり毎日釣りに行っていました。家の隣に川があったので帰ってきてすぐに準備をして釣りに行ってました。」

釣りを再開したことを機に、「大野の自然を守る会」に加入しました。「大野の自然を守る会」は1980年に、大野の自然環境が悪化・荒廃しかけていたため、豊かな山と川を回復し、次世代に残すために活動するために設立されました。川の掃除、大野地区の川へ稚魚の放流を行っています。

奥寺さん:「昔から魚の数が変わらないのは稚魚を放流しているおかげだと思います。この会に入っていたことで知り合いから声をかけてもらって町の広報誌に “釣り大好きおじさん” として川釣りの企画で取り上げてもらいました。なんと表紙になったんです。勤務先の学校で、先生や生徒に『よかったよ』と声をかけてもらいました。表紙の写真は本当に魚が釣れた瞬間だったから、とてもいい表情になっていました」

知り合いの子どもが釣りをしたいと言えば一緒に川に行き、そのあとは奥寺さんの家でバーベキューをすることもあるそうです。

大野のよさを最大限にいかして

最後に奥寺さん自身や地域の未来について伺いました。

奥寺さん:「カウンセラーを続けながらいつかは大野に学校を作りたいと考えています。大野の自然豊かな土地、穏やかな時間の流れを最大限いかしたいです」

学生時代から不登校の子どもの居場所づくりに興味があり、難しさを持った子どもたちやいろんな子どもが集まって、遊んだり勉強したりして生活を送れるそんな場所を大野に作りたいと教えてくれました。奥寺さんが岩手に戻ってくるきっかけになった恩師の先生ともそのような話をしているそうです。

そして、大好きな釣りを通して人が元気になれるのではないかとも考えています。

奥寺さん:「釣りをしていると無になれるんです。今この感覚に集中する、という感じで。悩んでいると過去のことばっかり考えるけど、そんなこと考えていたら魚逃しちゃいますから(笑)」

 

いつかは地元に帰りたいと思っていたところ、偶然が重なり地元に戻ってきた奥寺さん。子どもや親の悩みと向き合う中で、より暮らし方の大切さを実感しています。自分自身が暮らしを楽しみ、仲間とともに伝統文化を復活させることで次の世代に大野の文化を繋いでいく……そんなあたたかい想いを乗せて、今日も大野には豊かな時間が流れています。

 

奥寺 遼太(おくでら りょうた)
1984年洋野町大野地区出身。
岩手県教育委員会事務局県北教育事務局の臨床心理士・巡回型スクールカウンセラー。
趣味は釣り、武家屋敷巡りとお酒が好き。

 

(2021/09/26 取材 千葉桃子 写真 大原圭太郎)