ひろのの栞

漁業をもっとおもしろいものに(後編)

震災から2年後に新たな船で漁を再開した蔵さん。しかし、思うようにいかないことも多くありました。そのような状況でも蔵さんはこの町で漁師を続けていくために試行錯誤を繰り返すなかで、漁師という仕事や地域について考えるようになります。(写真提供:芥川仁氏)

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変えていきたい現状

震災から時間が経ち販路も増え、だんだんと魚が売れるようになりました。他地域の飲食店からの注文も受けることになりましたが、新型コロナウイルスの影響で飲食店からの注文が減り、再び厳しい状況に陥ります。

蔵さん:「だめなときだからこそ、販売会とかの企画を作るべきだなと思うときもあるんだよ。どん底のときに作っておけばあとは楽だよね。いいときに企画を作るのは誰でもできる。苦しいときに『いつでもスタートできるぞ』という状態にしておくべきじゃないかと最近強く思います」

蔵さんと共に漁に出る乗組員は「沖に出て魚を獲るのがすごい面白い」と言っているそうです。しかし、魚を出荷して換金したときに見合った金額でないことから不平不満が出ることも。そこで、魚市場で対面販売することで漁師が少しでも稼げるようにしているそうですが、小さな卸市場だと買い手が決まっているため競りになることが少なく、魚が高値で売れないことが長年の課題だと言います。
また、洋野町で獲れた魚が他の地域の魚市場へ売りに出されることもあるそうです。

蔵さん:「地元で獲れた魚を地元で売らないでどうするんだ、って私は思うんですけど。そこをなんとかしないと魚を売る、となっても売れないと思います。市場に合わせて魚を獲っているわけではなくて、獲ってきたものを市場で売ってもらうのが正しいんです」

漁師が魚を売るために携わる人がたくさんおり、そのぶん手数料などがかかってしまうことも。リスクはありますが、流通をうまくできればまだまだいろいろな方面に売れるのではないかと蔵さんは言います。魚の売り方のヒントを探しに他の魚市場に行ったところ、生魚だけでなく塩うにや揚げ物などの加工品があり、洋野町でもこのようなことができないかと考えました。

蔵さん:「何回か売り方を変えようと漁協職員や役場職員に提案したけどなかなかうまくいかない。しかも、漁協や役場の担当者もすぐ変わるから……漁師とどっちの意見を優先するのか、っていうのは言いにくいことだけど、言える人がいないといけないと思っているし、誰もがやりたくはないけど誰かがやらないといけない」

漁師の考えもさまざまで、八木の魚市場以外で魚を販売することに対して前向きな人もいればそうではない人も。魚を獲る技術はあっても売る技術がないことを課題に感じています。現在は、洋野町で水産振興に携わる地域おこし協力隊と一緒に販売会を企画しているそうです。洋野町や漁業の魅力を知ってもらうきっかけになり、新しい視点を持った人に触れてもらうことで漁業の未来につながるのではないかと考えています。

写真提供:芥川仁氏

仲間を減らしたくない

蔵さんは新しいことを始めようとする一方、漁師は若い人が魅力を感じない職業になっていることに危機感をいだいています。漁師が稼げるようになるまでには10年から20年かかるともいわれています。蔵さんは46年間漁師をしていて、魚が獲れる、稼げるという実感が湧いてきたのは30年過ぎてからだそうです。

蔵さん:「漁師の最大の課題はやっぱり経済面。収入が安定しないから若い人が定着しない。地方に移住する人は多いけど、漁業をやりたいという人は少ないんだよね。いざ移住しても、いればいるほど地域のしがらみが見えていにくくなる。それを変えないと、環境を整えないと定着しないよね」

蔵さん自身も勉強のためにいろいろな漁村地域に足を運んだそうです。

蔵さん:「漁業で稼ぐことができる地域の人は笑顔が違う。そういう地域は少ないんだけどね。たとえば、北海道にある猿払村っていう小さな漁村があるんだけど、そこは日本一漁業所得がある村で。番地がないくらい過疎な場所なのになんでなのかなあと思って猿払村の人に聞いてみたら、仕事を村外に外注しないの。村で加工品も全部作る。それが積極的に行われていたんだよね。だから若者が町から出なくなったし、都市部から来る人もいるんだよ」

それでも、蔵さんのもとでは漁師未経験で漁師になった2人の町内出身者が7年ほど前から働いています。すぐにやめるだろうと思っていましたが、漁師の仕事を楽しんで続けています。蔵さんがなぜ続けられるのかを聞いたところ、地元は生活しやすいし居心地がいいと言っていたことから、働くうえで大切なのはお金や人だけではないと気づいたそうです。

蔵さん:「『漁師なんて全然金にならないし、つまらない』と思われるのが一番ショック。俺はそんなに悪い仕事じゃないって言うんだけどね。でも、環境によってそう思われてしまうこともある」

写真提供:芥川仁氏

漁業をしたい若者が定着できるような環境づくりについて漁師仲間と話すこともありますが、一筋縄ではいきません。

蔵さん:「『蔵はうまくやってるからいいかもしれないけど』と言われるけど、うちがうまくやっているように見えるか、って。隣の芝生が青く見えるのと同じでさ。そういうふうには思わないんだ。それをなくすために青空市とか市日とかをみんなでやる。それぞれがアドバイスしあって、いい方向に持っていったほうが調和が取れると思うんだけどね」

今のままでは漁業だけでなく、町に携わる人が残らないと危惧しています。新しい視点を持った人が漁業をはじめとする一次産業に興味を持つことで、新たな担い手を育てていければと考えています。そして、いつかは漁業者や企業で協力し合って人を集めるような場をつくることを思い描いています。

 

この海で生きていく

幼い頃から海が好きだった蔵さん。漁に出て魚を獲ることはもちろん、船の窓から眺める海が好きで、毎日でも海に行きたいと語ります。

蔵さん:「小さい頃は駄々こねて、親父の漁についていったこともあるし。そのときのことは今でも覚えてる」

しかし、漁師として海に出るなかで危険な目にあったことも少なくはありません。

蔵さん:「もう家に帰れないなって思ったこともあった。大しけのときにね、何回も。それでもやっぱり奇跡で帰ってこられた。危険な状況になってもね、自分の腕を信じる。舵持ってるのは自分なんだもん。他人じゃない。気持ちを強く持てたり、経験を積めば少しは安心。無我夢中でやっているときはそういう怖さを知らないから。怖さを知ってから経験積むものだから」

海がしけたときの怖さ、魚が取れない怖さなどさまざまな怖さに立ち向かわなければならない一方、ある程度怖さがわかれば楽しさになると蔵さんは言います。
最近では、温暖化の影響で生態系が変化しており、漁獲量も年々減っています。蔵さんは、6年ほど前から海が変わり、獲れる魚の種類が一気に変わったと感じているそうです。

蔵さん:「たとえば、温暖化って聞くと海が暖かくなるって考える人は多いけど、そうじゃなくて降雪が増えるの。海が暖かくなると水蒸気が上がりやすくなって雨や雪が増える。でも、それも悪いことばかりじゃなくて。雪溶け水や雨とかの冷たい水が川に流れて、それが海に入るとプランクトンが発生して海藻が育つ。海は海だけで存在しているわけじゃない。漁師は、潮の流れや水温で獲れる魚を予測するんだよね。気象を知らないと漁師はできない。ただ魚がくるのを待ってるのは厳しい」

技術も進化しているので、昔よりも正確な気象情報がわかるようになりましたが、魚がいる場所を見つけるのは機械ではできない、船頭の経験と勘だと蔵さんは言います。蔵さん自身もまだそれがわからないため、温度や月の大きさ、潮の満ち引き、経験したことを毎日書き留め、あとから振り返っています。とはいえ、相手は海。絶えず動いている潮流です。

蔵さん:「今年はずいぶんアホウドリが多いなと思ったらそれなりに魚がいる。鳥を見て魚の変化がわかるようになっていかないと魚を獲れるようにならない。それは難しいんだけど、その難しさを覚えてくれば楽しいんだよこれがまた。難しさを打破していけるというか……結果が出たときに『やっぱり思った通りだな』と思えるんだよね」

前述のように技術も進化しているので、海難事故も減って安全に漁ができる体制が整ってきています。だからこそ、今いる仲間を減らさず、そこに新たな担い手が増えたら嬉しいと蔵さんは願っています。

蔵さん:「いろんな魅力があるんだけどさ、海って。すごく穏やかで優しいなって思うときもあるし、なんでこんなに暴れるの、ってときもあるし。それがまた海の魅力なんだけど。そう思えるまで時間がかかる」

大好きな海と共に生きてきた蔵さん。自分が携わる漁業だけでなく、そこから見えてくる地域の課題にも向き合っています。漁業を生業にするためにはさまざまな困難がありますが、それらを乗り越えた先に見えてくる喜び。
蔵さんが感じている漁業の素晴らしさや楽しさが伝わり、これからの漁業が変わっていくかもしれません。

 

蔵 勝利(くら かつとし)
1956年洋野町八木地区出身。
高校卒業後、遠洋漁業の会社に就職し3年勤務後、地元である八木で漁を始める。2015年に株式会社三号新栄丸を設立。
趣味はスキー。

 

写真提供
芥川 仁氏(株式会社芥川仁
洋野町企画課広聴広報係

 

(2022/1/28 取材 千葉桃子 写真 大原圭太郎)