ひろのの栞

歴史をつなぐ蔵から生まれた日本酒

洋野町大野地区で活動する布施かおりさんのご実家は、243年の歴史を持つ「西大野商店」。現在は歴史ある土蔵を活用し、海外から輸入した食品や雑貨を通信販売する仕事をしています。また、2019年からは “江戸時代にのまれていた日本酒” の復刻プロジェクトがスタートし、力を注がれています。そのきっかけとプロジェクトの内容とは、一体どのようなものなのでしょうか。

壮大な高原が広がる自然豊かな洋野町大野地区。江戸時代、大野地区は八戸南部藩の久慈街道の一部でした。現在でも街道の名残で曲がりくねった道がみられます。
布施さんのご実家である西大野商店の当主・晴山吉三郎は、八戸南部藩の御用商人として鉄山支配人を務めていました。鉄は八戸南部藩の収入源であり、最盛期には1500人ほどの鉄山関係の従事者がいたとされています。かつては「大野六鉄山」といわれるほど有名な鉄山で栄えた宿場町で、八戸南部藩の経済及び文化の中心地としても栄えた地域でした。
また、大豆も八戸南部藩の収入源であり、明治以降は酒造・味噌・醤油の醸造を行い、販売していました。昭和の大戦以降は小売として商売を続けるなど、現在も時代に合わせた商売を行っています。

178年の歴史ある蔵を維持したい

大野生まれ大野育ちの布施さん。小さい頃から土蔵が身近にある生活を送っていました。

布施さん:「蔵は風景の一部で、登って遊んだりもしていたんです。だから、そんなに貴重なものだとは思っていませんでした」

そんな布施さんでしたが、友人を洋野町に招き蔵の話をしたところ、「そんなに長く続いている土蔵は珍しい。興味深い」と言われたそう。この出来事をきっかけに、インターネットで他の地域にある土蔵を見たり、江戸時代の建物について調べた布施さん。自分の身近にある蔵は地域にとっても貴重だと感じ、これからも蔵を残したいと思い始めました。

布施さん:「土蔵は夏は涼しく冬は暖かいのが特徴です。夏に野菜を置いても腐らない、冬に水を置いても凍らないのでまさに “自然の冷蔵庫” です」

2006年の8月にはこの蔵を使って “ガーデンライブ ’06「蔵」” という、町内の若者たちが企画・運営するライブイベントが行われました。このイベントは、音楽活動をしている町内外の人たちに発表の場を設け、お盆で帰省している若者たちと地域をつなぐイベントとして毎年行われていたもので、この年は特別に蔵を借りて開催しました。蔵を生かしたことで観衆の反応も良かったそうです。

しかし、現在では震災をはじめとする自然災害の影響で壊れてしまっている部分も多くあり、改修の必要に迫られています。

日本酒復刻プロジェクトのはじまり

そんな歴史ある土蔵を、何かしらのかたちで維持したいと考えていた布施さん。現在、商品管理として使用している蔵は、江戸時代後期から昭和初期にかけて酒を造っていたことを知ります。

布施さん:「蔵の柱に酒の酵母がいるのではないか、と突然思いつきました。知り合いを通して岩手県二戸市にある酒造『南部美人』の久慈浩介社長に相談したところ、『蔵から酵母を取るのは難しく、お金もすごくかかる。もしかしたら酵母が取れないかもしれない。それなら、東北大学付属図書館にある西大野商店の古文書を探して、お酒の造りかたが載っていれば、江戸時代に造られていたお酒を造れる』と言われました」

そこで、当時の酒の造り方を調べるために東北大学付属図書館に所蔵されている古文書(晴山文書)を調べましたが、それらしき情報は見つからず……。

大野に戻り、西大野商店に保存されていた古文書を探していたところ、60年ぶりに見つかった古文書の中から “醸造方ノ開陳秘傳” “酒類醸造方法書” が発見されました。早速、専門の方に解読していただき、再び南部美人の久慈社長に相談しました。

布施さん:「秘伝書が見つかったことが嬉しくて、すぐに久慈社長に連絡しました(笑)久慈社長も乗り気で『ぜひ日本酒造りをやりましょう!僕にとってもチャレンジです』と返事をいただき、『南部藩・復刻酒プロジェクト』が始まりました」

秘伝書を読み解いていくと、当時造られていた酒の名前は「國光正宗」だということが判明。大野地区はかつて宿場町であり、鉄山労働者もたくさんいたことから、この酒はそうした人々の疲れを癒していたのかもしれません。

布施さん:「復刻酒を造るにあたって、できるだけ当時のものに近づけたいと思っているので、南部美人にある木桶を使ってお酒を仕込みました。さらに、大野のものを使いたいと考えていたところ、久慈社長が『江戸時代にも酒造りに使われていた大野の水を使いたいと考えている』と話してくれました。大野の水は今でも飲料に使われていて、とても美味しいんですよ」

日本酒に使用する米は、青森県十和田市で自然栽培されている「亀の尾」。亀の尾は、寒さが厳しい東北地方でも育つ米であり、東北で有名な米である「ササニシキ」は、亀の尾から派生したといわれています。今年の5月から十和田市の田んぼを借りて、田植え・草取り・稲刈りをイベントとして行う予定です。

布施さん:「このイベントを通して、大野のことをたくさんの人に知ってもらえたらいいな、と思っています。地元(洋野町、十和田市、二戸市)の方はもちろん、口コミで遠くの地域からも人が来てくれるのが嬉しいです。現在は十和田市の田んぼで米の栽培を行っていますが、将来的には大野の田んぼで米の栽培をしたいと考えています。他の地域と交流しながら、大野にある “いいもの” をもっと使っていきたいです」

地域と歴史をつなぐプロジェクト

秘伝書も見つかり、本格的に動き出した「南部藩・復刻酒プロジェクト」。「南部藩」は「八戸南部藩」と「盛岡南部藩」があり、蔵がある洋野町は八戸南部藩、酒造りをしている南部美人がある二戸市は盛岡南部藩です。布施さんは、この南部杜氏秘伝書による復刻酒を通じて、県や市町村を越えた “オール南部藩” でいろいろなイベントなどが広がることを期待しています。

最後に、このプロジェクトを通して、布施さんが目指すものについて伺いました。

布施さん:「日本酒の売上で蔵を修繕したいと思っています。歴史ある蔵を維持して、もっと多くの人に興味を持ってもらいたいです。蔵を活用したおしゃれなカフェとかは他にもあるので、もっと大野らしい活用をしたいです。例えば、大野地区には『座敷わらし』や『おしら様』などの神様が伝承されています。しかし、これらは地元の人にもあまり知られていません。時間の経過とともに忘れかけられている文化を再び知ってもらって、 “コアな歴史ファン” が集まるような場所にしたいです」

大野の蔵は現在の技術ではつくれないものであり、釘を使ってないため修繕も難しいのが現状です。かつて日本酒が造られていた蔵を修繕することで、大野の歴史をたくさんの人に知ってもらうきっかけにできたらいいと布施さんは考えています。
歴史に関するイベントを行ったとしても、その背景を知らないと “ただのイベント” になってしまうのはとてももったいないことですよね。
今年製造される日本酒は注目度も高く、全国から予約の問い合わせをいただいています。

布施さん:「初しぼりで飲んだとき、予想外の美味しさに驚きました。東北の日本酒はすっきり辛口のものが多いですが、この『國光正宗』は、旨味や酸味、アルコールなどのバランスがよく濃厚なんです。江戸時代はこれを水で薄めて飲んでいたと久慈社長が仰っていました。実はお酒が飲めない私でも美味しいと感じたので、普段日本酒を飲まない人でも飲みやすいと思います。酵母が元気だったのでいいお酒になったそうです。今後は、江戸時代に主流だった品種の稲を復活させ、さらに江戸時代のお酒の味に近づけたいです。気になる方はぜひチェックしてみてください。また、もっと古文書を読み解いて、日本酒に合うような昔ながらの食事も復活させたら面白そうだな、と考えています」

歴史ある蔵とともに生きてきた布施さん。大野を思うその眼差しの奥に、つないできたものを守りたいという強い意志を感じました。歴史を通じて、人や地域がつながっていく……今回の復刻酒プロジェクトも、大野の歴史の1つになっていくことでしょう。

 

布施 かおり(ふせ かおり)
1963年生まれ。洋野町大野地区出身。
株式会社フェアリーチェの企画営業部。
オリーブオイルソムリエ、野菜ソムリエの資格を持つ。
最近の趣味は図書館で本を借りること。

フェアリーチェ HP:https://www.fairyche.com/

 

(2021/05/01 取材 千葉桃子)