ひろのの栞

地域の未来を色づける

普段は酪農家として働きながら、地域の仲間とともにさまざまな活動に取り組む西君治さん。今ではあたりまえになった「なもみ」や「林郷ソーラン」。そのはじまりや、活動をするなかで抱いた地域への想いはどのようなものなのでしょうか。

この町を支える酪農

洋野町大野の林郷地区で農業を営む西さん。4年ほど会社に勤めたのち、家業である畜産酪農に携わることになりました。乳牛と和牛を飼育しており、特に和牛に力を入れています。和牛の子牛を10ヶ月育て、市場に卸すのが主な仕事です。

西さん:「最近は、えさや資材の高騰がすごいですね。この仕事始めてから1番の高騰だと思います。普通なら資材の値段とかは1年に1回しか上がりませんが、今は3ヶ月に1回値上げしているので死活問題です。それでも、商品の値段はあまり変わらないので、厳しい農家さんも多くなりそうです」

酪農という仕事には波があり、牛が病気になったり、他地域で病気が流行れば風評被害で値段が下がることも。今まで何度も危機的な状況になることもありましたが、その度になんとか踏ん張ってきたと西さんは言います。

西さん:「酪農の仕事を始めた当初は、わけもわからず常に仕事がありましたが、年を重ねてきて、かつ自分の家庭をもったときに、自分の家で仕事をしてお金を稼ぐことがどれだけ大変なことなのかを実感しました。そのなかでも、家族と触れ合う時間は一般のサラリーマンよりあると思います。子どもたちが学校から帰ってくれば『ただいま』と言ってくれるし……牛舎の中だったりそのまわりだったり、三輪車だったり自転車だったり。普段から子どもたちをよく見ていられるので、環境によってはすごくいいのかなと思います。自分たちが子どもの頃にやってもらったことを、子どもたちにも感じてもらえたら」

洋野町の基幹産業でもある農業を支えながら、家族や地域で活動する時間をつくっています。

なもみを復活させる

岩手の県北や沿岸には、「なもみ」と呼ばれる鬼のかたちをした神様がおり、洋野町でも毎年小正月になもみが登場します。洋野町のなもみは、西さんの生まれ育った林郷地区で昔から言い伝えられてきていたそうです。しかし、いつの間にかなもみは途絶えてしまったのです。

西さん:「私が住んでいるのが林郷地区というところなんですが、私が子どもの頃には青年会が中心となってお盆の盆踊りをしたり、公民館で演芸会を開いたりしていました。でも、いつの間にか途絶えてしまって、それがずっと続いていて。私が25歳の頃、地区の同世代のメンバーと『昔はこういうのがあったよね、今もあってもいいよね』という話になって。最初は盆踊りの復活から始めました」

西さんをはじめ、誰もが何もわからない、手探りの状態から盆踊りを始めました。盆踊りを2年ほど続けたとき、こんな話が出てきました。

西さん:「夏に盆踊りを復活させたものの、1年に1回では……もっと何かできることはないかと考えたときに、『冬になんか怖いのが来たよな』という話になって。それがなもみでした」

現在のなもみは鬼のかぶりものをしていますが、昔は顔を炭で黒く塗っていたんだとか。というのも、一昔前は正月に出稼ぎから帰ってくる人も多く、家でお酒を飲んだ勢いで顔を黒く塗って、他の家に入り込んでいく……というのがあたりまえだったそうです。
なもみを復活させようと、西さんとその仲間たちは動き出します。

西さん:「正しいことはわからないけど、なもみはきっと鬼だろう、ということで、節分のときにあるような鬼のお面に紙粘土でいろいろくっつけたりして作りました。お面はできたけど衣装はどうする、となりました。丹前という昔の寝巻なら使いはしないけど持っている家庭もいくつかあって。それを衣装にしました」

そうして、林郷地区を中心に大野でなもみを復活させることができました。

なもみを復活させて3年目の2006年の元旦に、旧大野村と旧種市町が合併しました。種市にはなもみのような文化はなかったことや、合併したお祝いも兼ねて西さんは種市の人にもなもみを知ってもらおうと考えました。

西さん:「自分でチラシを作って、種市の商店街に1人で配布しました。『林郷から来ました!合併を機に皆さまにお見せしたいものがあります』と1軒1軒、紹介して歩いて回りました。林郷に戻ってから青年会の仲間たちに『ちょっともう後戻りのできないことをやってしまった……』と報告しました(笑)」

西さん:「種市の人にも見てもらいたくて、この商店街の通りを歩いたんですよ、道路使用許可も無しに(笑)交番でお巡りさんがずっと見てました。とりあえず役場から種市駅まで歩き終わったときにお巡りさんから道路使用許可無しにやってはいけない、と怒られましたが、『やっていることは素晴らしいことだから、次はちゃんとするように』と言ってもらったんです」

写真提供:洋野町企画課広聴広報係

2006年のなもみは、合併後初の町の広報誌の表紙にもなりました。西さん自身も、最初はどうなるかわからずやっていましたが、数年かけてあたりまえになり、現在でも小正月の恒例行事として種市の駅前や海浜公園、大野の道の駅で人々を楽しませています。
コロナ禍以前は、鬼と子どもが直接触れ合うことができましたが、ここ2年は「ドライブスルー形式」として、車の中でなもみを楽しめるよう工夫しています。

時代に合わせて変化させながら

コロナ禍で多くのイベントや祭りが中止になりましたが、西さんはそこでもなんとか工夫して地域を盛り上げました。まずは、大野で一番大きなイベントであるナニャドヤラ。2年連続でお祭りの中止が決まりました。

西さん:「大野はお盆になれば太鼓の音がするのがあたりまえの地域だったので、集まれないけど1年に1回くらいは太鼓を叩きたいしなあ、と思っていたら、集まらなくても音は聞こえるんじゃないかと。でも林郷地区の1ヶ所でやるのも……と思いましたが、どこの地区でもやればいいのかと思い、8月15日の夜7時半に、各地区一斉に太鼓を叩きました。家にいる人は庭でBBQをしながらでもいいし、お酒を飲みながらでもいいし。それぞれの場所で太鼓の音を聞いてお盆の雰囲気を味わってもらえたと思います」

2020年は大野の各地区で太鼓の演奏を行いましたが、2021年には青森県の団体も参加し、ソーシャルナニャドヤラを開催。それぞれの場所でこの地域の夏を感じることができました。2022年は3年ぶりに祭りが再開しました。それまでのつながりをつくったのは、間違いなくこの取り組みと言えるでしょう。

写真提供:洋野町企画課広聴広報係

また、大野地区のPTAの仲間とともに、地域の子どもたちに向けたイベントも行いました。

西さん:「コロナの影響で学校のイベントもお祭りもほとんど中止になってしまって。卒業アルバムに載せられることも少なくなったと思うんです。そんななかで何かひとつ、思い出に残ったり写真を載せられるものはなにかを考えたときに、花火を上げようという話になったんです」

大野地区の4つの小学校を会場に、リレー方式で花火を打ち上げました。当日大野に来られない人のために、地元の高校生や企業の協力を得てインスタライブリレーも行い、多くの人に笑顔と感動を届けました。

写真提供:洋野町企画課広聴広報係

見てくれている人がいるから

なもみを復活させたのと同じ時期に、西さんの地元である林郷の小学校に異動してきた先生がヨサコイソーラン節を始めたそうです。

西さん:「運動会でソーラン節を披露したんです。当時、小学生の妹もいたので家族で見に行って『これはすごい』と感動しました。小さな学校でこれくらい上手にできるのに、地区だけでしか見せないのはもったいないと思って、大野のお祭りで披露できないかと考えました」

そうして、夏祭りを主催している神社の人にお願いしに行きましたが、最初は「神社の神事なのでソーラン節の披露は難しい」と断られてしまいます。

西さん:「それでも見てほしいと思い、役場の人にも協力してもらいその後も2,3回お願いしに行きました。『神事の最後尾でもいいです、林郷の子どもたちを祭りに出させてくれませんか』とお願いしたところ、了承をいただいて。20年以上経った今でもやらせてもらっています」

ソーラン節を教えていた先生は数年後に異動してしまいましたが、この活動を残したいと思った西さん。それなら地域の人が教えていけばいいと思い、できるかはわからないがやってみることに。

西さん:「最初の頃は、まさか20年以上も続くとは思われなくて。地域の人に『3年は続けるんだぞ』と半分馬鹿にされたように言われたんだよね」

夏祭りだけでなく、いろんなイベントに子どもを連れて行くことも。

子どもたちを見るために、地域の人もイベントに行くようになるので、1つの地域になにか特色があれば盛り上がると西さんは言います。

さまざまな活動をするなかで、その原動力になっているものについてお聞きしました。

西さん:「やっぱり言葉ですね。なもみでもソーシャルナニャドヤラでも。『よかったよかった』や『なんでそれを思いつく』とか。見てくれる人がいるんだと感じます。子どもたちのソーラン節も、祭りで披露すると感動して泣いてる人もいるんです。大野はどの小学校も小規模校。全校で30人とか。でも、子どもたちが人前に出る機会ってなかなか少ないので、出たことで子どもたちの力になればと思います」

農家でありながら、地域の活動やPTA、町の教育委員も務めています。

西さん:「自分の家で酪農という仕事をして、そのなかで時間を見つけてやっていますね。忙しいといえば忙しいですが、自営業だと融通が効きますね。それをどういうふうにいかして、地域で仕事をしながら、地域に貢献しつつ盛り上げていけたらと思ってこれまでやってきたのかな」

生まれ育った地元を盛り上げるためにさまざまな活動に取り組む西さん。何かをはじめること、それを続けていくことは決して簡単ではありません。時代の変化にも対応しながら、今まで続いてきたものをこれからも続けていく……その先にはいつも地域の人々の笑顔や感謝が溢れています。


西 君治(にし きみはる)
1975年洋野町大野地区出身。
日本酪農青年研究連盟岩手県委員長兼務日本連盟監査役。
洋野町教育委員会の教育委員、洋野町立林郷小学校のPTA会長、林郷青年會の会長も務める。
趣味は音楽鑑賞、釣り、車、飲み会など。


(2022/06/28 取材・写真 千葉桃子)