ひろのの栞

この町を駆け巡る

洋野町種市地区出身の麦沢忠美さん。洋野町の風景や特産品、行事など、町の発信をするブログを10年以上更新しています。ブログを通して出会った人やもの、麦沢さんから見た町の魅力はどのようなものなのでしょうか。

町の人はもちろん町の外にいる人にも

麦沢さんが運営するブログ「岩手県洋野町 発信は、町内で知る人も多いブログです。開始したのは2008年3月。ウェブ広告で収入を得ている知り合いがいたことがきっかけだったそうです。

麦沢さん:「その人に話を聞いたら、内容はなんでもいいから毎日投稿するのが大切だと教えてもらって。毎日投稿できることは何かな、と考えたときに地域のことにしようと思いついたんです」

しかし、毎日投稿をしているうちに地域について発信することが面白くなってきた麦沢さん。1年経つころには広告で収入を得ようと考えることを辞めました。その後、10年間は1日も休まず投稿していましたが、最近では半年に1,2回は休むようにしているそうです。麦沢さん曰く、今はあまり無理せず更新しているのだとか。

町のさまざまな情報を発信する麦沢さん。その情報はどこで手に入れているのでしょうか。

麦沢さん:「10年もやっていると、この時期はこれだなというのがわかってきます。知っている情報を隠してもしょうがないので。見てくれる人が興味を持ってもらえるように工夫しています」

一方で、ブログを開始した当初はそのような情報を何も知らなかったので、自らの足でいろいろな場所に行ったそうです。

麦沢さん:「踏切のシリーズも載せたことがありますよ。町内の踏切を1つ1つ回って。地図上に無い踏切を見つけて驚いたのは今でも覚えています」

当時は、町のことを発信しているのが麦沢さんしかおらず、ブログがきっかけで町内の人とつながることが増えたといいます。自分が取材したものだけでなく、町内のアマチュア写真家の方の写真を代理で投稿することもあります。

これまでの投稿のなかで、反響が大きかったものについてもお聞きしました。

麦沢さん:「1番大きかったのはやっぱり東日本大震災の時です。町の状況や津波の写真を載せたら、『○○さんは無事ですか』などの安否確認のコメントが50件くらい入って。全部調べて返事をしました」

2011年3月のブログ

 

震災の直後、電話やメールが通じない状況でしたが、麦沢さんのコメント返信によって安心できた人もいたのではないでしょうか。麦沢さんのブログは、町内の人はもちろん、町出身で都市部に出た人も多く見ているそうです。地元を離れていても町に興味がある人が多いことがわかりました。また、町内出身者だけではなく、震災をきっかけに洋野町を知り、ブログを見ている人もいると教えていただきました。

さらに、震災時の麦沢さんの発信を見た町内出身者が所属するバンド「空団地 から声がかかったことも。

麦沢さん:「空団地は主に大阪を拠点に活動しているのですが、作詞、作曲、ボーカルを担当されている三浦さんが洋野町出身の方だったんです。2011年の6月くらいに私に連絡があって。いろいろと話して、洋野町でチャリティコンサートを開催していただく事になりました」

空団地のチャリティーコンサートは、東日本大震災から約7ヶ月後の10月に開催されました。町民だけでなく、近隣地域の方や空団地のファンの方など、約300人が訪れ、大変賑わったそうです。

「岩手県洋野町 発信」2011年10月24日『空団地チャリティコンサート in 洋野町 その2』より、空団地のライブの様子

チャリティーコンサートは2013年まででしたが、それ以降も町内イベントやライブツアーなど、空団地が洋野町でライブをする機会がありました。

麦沢さん:「1番驚いたのは、ライブは無いのに関西に住んでいる空団地のファンの方々が洋野町に遊びに来てくれたことです。空団地がライブをした『たねいちウニまつり』に参加して、洋野町のウニを食べて感動したそうで。また食べに来てくれたんです」

ここ数年はコロナの影響もあり、ライブを開催できていませんが、状況が落ち着いたらまた洋野町で空団地にライブをしてもらいたいと麦沢さんは考えています。

 

自分を育ててくれた場所

旧種市町(現在の洋野町種市)出身の麦沢さん。子ども時代の町の様子について教えていただきました。

麦沢さん:「今の種市小学校は国道沿いにあるんですけど、私が小学5年生のときまではもっと海に近い場所(現在の洋野町役場種市庁舎の近く)にあったんです。1968年の十勝沖地震で木造校舎の一部がかなり壊れてしまって。建て直すより新しく建てようということになりました。私が6年生のときに今の場所に新しい校舎ができたので、移転した校舎の最初の卒業生になりました」

しかし、ここ数十年で閉まったお店も多くあります。

麦沢さん:「駅前の通りに魚屋があって。店先で焼いた魚とかを売ってたんですよ。昔はそんな光景も広がっていました」

麦沢さんのご実家は、種市の商店街にある美容院。麦沢さんのお母さんが経営しており、開店当初は多くのお客さんが訪れたそうです。お母さんは兄弟の誰かに跡を継いでほしいという想いはあったものの、それぞれが他の仕事をしていたため、現在でもお母さんが1人で営んでいます。

10年以上も町の発信をしている麦沢さんですが、普段はパソコンのトラブルサポートやホームページの作成をしています。

麦沢さん:「八戸市の高校、宮城県の大学に進学したことで一度は地元を離れました。大学卒業後は八戸市の企業で回路設計の仕事をしていました。部署でパソコンを取り扱うことになり、触っているうちにだんだん面白くなってきて、それでパソコンを覚えました」

その後は洋野町の企業での勤務を経て、40歳のときにパソコン関係の会社を洋野町で立ち上げ、現在に至ります。岩手県北部や青森県南部でパソコンに関わる仕事がメインですが、時には企業のシステム開発や鉄道の緊急システムの構築試験に関する仕事も行っていたこともあります。また、町内の学校や飲食店のホームページ作成を頼まれることもあり、これまで30個近くのホームページを作成してきたそうです。

 

町に興味を持ってくれる人を増やす

麦沢さんは仕事や地域の発信のほかにも、町の「まちづくり推進員」の委員長も務めるなど、幅広く自分にできることに取り組んでいます。一度は離れた地元に戻り、発信を通して地域の面白さに気づいた麦沢さんは、洋野町のことをどう考えているのでしょうか。

麦沢さん:「町が好きというよりは、私の発信を見て洋野町に興味を持ってくれる人が増えたらいいなと思っています」

2015年には自転車で日本1周旅行をしている人から連絡をもらったり、町の飲食店で出会った旅人と仲良くなるなど、数多くのエピソードがあります。取材をしてもブログに載せていない内容も多くあるそうです。そんな麦沢さんが最近おすすめのものや、知られざるスポットはどのようなものなのでしょうか。

麦沢さん:「知られざる、と言っても全てブログに載せていますからね(笑)春だと花が咲いているのを見るのが好きです。ソメイヨシノ、ミズバショウやカタクリの花が綺麗です」

「岩手県洋野町 発信」2022年4月18日『いよいよソメイヨシノが咲きましたーー!』より、ソメイヨシノの写真

最後にブログでの発信や町での活動について、今後の展望をお聞きしました。

麦沢さん:「仕事も発信も、あと何年続けるかは決めていません。今62歳ですが、仕事も依頼があってありがたいです。65歳くらいまでかなあと勝手に思っていますが、65歳になっても依頼があったらやるかもしれません。常に臨機応変に、フットワーク軽くいきたいです」

そう笑顔で語ってくれました。

洋野町のことを発信し続けている麦沢さん。この町を知っている人も、そうではない人にも届いているからこそ、これまでにたくさんの人と人とのつながりや町の魅力が生まれました。発信を通して町に興味を持ってくれる人を増やす……これからどんな出会いがあるのか楽しみです。

 

 

麦沢 忠美(むぎさわ ただみ)
1959年洋野町種市出身。
T・S・Do代表。
趣味はジョギングと散歩。
夜は種市のいろいろな飲み屋に出没する。

【ブログ「岩手県洋野町 発信」】https://blog.tsdo.net/
【T・S・Do】https://www.tsdo.net/

 

(2022/04/07 取材 千葉桃子 写真 大原圭太郎)